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ありふれた人生と夢のあとさき

夢の断絶は、満員電車のにおいがダメになるところから始まった。こみあげる吐き気に何度も電車を降りてホームでうずくまる。出社した後も姿勢を正していられなくて、会社の会議室を借りて仕事をする日々が続いていた。

ある日、駅の救護室を案内してくれた駅員さんからマタニティマークのキーホルダーをもらったその足で、思い切って編集長に妊娠を打ち明けた。彼女から返ってきた言葉は「別にいいけど担当ページは減らせないし、今のうちの会社じゃ産休育休もとらせることはできない」。

ずっと関わることを夢みていた雑誌の編集部で働きだしてちょうど1年になる頃だった。違う会社の編集部で働いていた私は、憧れの雑誌の求人を見て飛びつくように応募し、転職した。当時の編集長は独身を貫き、出版社Sで仕事に邁進してきた女性。仕事の状況を考えず、前触れなく妊娠した私の甘い姿勢に苛立たしさを感じもしていただろう。しかしその言葉は間違いなく「夢見る夢子」だった私を現実に縛り上げた。

お腹の子の父親は役者で手取り10万弱。自分の働きで世帯収入を押し上げるしかない。さらに子供が発熱しても彼は舞台に穴をあけられないし、実家の両親はフルタイムで働いていたから、私しか保育園へお迎えにいける人はいない。私が働くのは、そうした状況を理解までしてくれなくても、実行可能な職場でなければならない。仕事を探し始めてからしばらくして「クリエイティブ」や「出版」や「雑誌」はNGワードに入れた。せっかく憧れの雑誌の編集者になって仕事も軌道に乗ってきたところだったのに、という思いは封印した。そんな時に妊娠したのだから自業自得だ。息子を目の前に後悔したくなかった。育児と仕事が両立できることを最優先に、子どもを持った自分でもできる仕事を選んで働き続けることにした。

夜泣きをする子だったから、2歳を過ぎるまで朝まで2時間以上連続で眠れたことはない。何かをする時間があるのなら数時間でも寝たかった。子どもの将来のためのお金がいくらでもほしかった、そのうちに自分の夢のことなんて忘れた。また、息子をお腹に宿してからというもの、私の人生は私のものでないと、また「自分であること」はもう許されないと思うようになった。子どもと自分を同一視することはしたくなかったから、息子のことは、世に出すまでの「預かりもの」と思うようにはしていたけれど、やっぱり私の人生の主人公は息子だった。それが子どもを育てる自分の幸せの形なのだとも思っていたし、そんな風に思えなければ、息子の存在さえも否定してしまうようで怖かった。

でも、結婚、出産という道を選ばず、今もあの仕事を続けていたら私はどんなことを成していただろうか。キャリアを中断しなかった同年代の活躍を見て、そんな「もしも」を考えてしまう時もある、そうこぼしたひと回り下の編集者には「そうした話はよく『その年代』の人たちから聞きますね」と苦笑された。

幼子を抱えてがむしゃらに働いているうちに私の30代は終わってしまった。この小さな者を死なせないように、お腹をすかせないように、適切に教育するために、健やかに成長させるために。何かにとりかかっても、子供の泣き声を聞いては中断する日々。夢だって中断してしまった。そんな生き方は「ありふれたもの」。だけど、私しか持たないストーリーなのだとも思う。

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「お母さんみたいなありふれた人生を送るのは嫌だ」
高校時代、母と口論になりそう叫んだことがある。子供を産んで仕事をして家事をしているだけなんて、そんな人生。ふいに黙り込んだ母の傷ついたような顔を今もよく覚えている。当時の私は無頼の作家や華やかな世界のアーティストに憧れていた。常にスリリングに生きて物をつくっていきたい。破天荒に生き、いっそ自滅してもいい。そしていつか、彼らの横に自分の名を連ねたいと。

母は出産を機に一度キャリアをあきらめたが、子供二人を育てながら資格を取り、仕事に復帰した。その後も家事は母が変わらず担っていた(それが再び仕事に出るにあたっての姑からの条件だったと聞いたことがある)。そのうちパートから主任になり、最終的には管理職になり、定年後の今も求められて現場の教育に出たりしている。

子どもを育てながら30歳になった私は思い知った。そうした「ありふれた」人生がまったく容易なものでないことを、夢を追ったり、無頼に生きることよりずっと大変なことだということを。

「この年になると勉強するのも大変」と分厚い医療書をめくりながら、また、平成バブル時代のニュースを見て「あの頃は仕事を辞めて育児をしていたから、私には全く無縁だった」とよく語っていた母は、あの時、私の言葉をどう受け止めていたのだろうか。尋ねてみたいけれど、なんとなくもう一度彼女を傷つけるような気がしてしまうから、毎年母の日には「あなたのような母親になりたい」と、懺悔の念を込めてメッセージを送っている。

私のようなありふれた人生を送る40代はこの世界にたくさんいるだろう。若い頃に夢を持ちそれを諦めた人や、想像した未来とは違う人生を過ごしている人や、何かを成し遂げたいと思い、何者にもなれなかった人や。同じようによくある人生を送る者として、いつかそうした人たちが持つストーリーを、一つひとつていねいに掬い上げたいと思うようになった。これはただの思い付きで、とても夢とは言えないけれど。でも、もしかしたらこれが「夢の後先」というものなのかもしれない。


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