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「今日も可愛いね」と自分に言ってあげたい

「○○くん、今日も可愛いね。可愛いね」

スタバで隣のテーブルに座っていた家族の母親が、ミニカーを手に持って無心で走らせている5歳くらいの男の子の頭を撫でながら、そう言葉をかけた。

その言葉を聞いた瞬間、ふと涙が込み上げてきた。

若い女性が隣でいきなり泣き出したらご家族もびっくりするだろうと思って、私は涙を流さないよう堪えるのに必死だった。

その言葉は、他の誰でもなく私が、他の誰でもない私にかけてあげたい言葉だった。


先月から、朝起きて元気だったらスタバで朝活をするようにしている。

うつの症状があると、基本的に朝は起きれなかったり、起きれたとしてもすぐしんどくなって床に伏せてしまう。

この症状を直したくて、もっと言えば、うつになる前の早起きが得意だった自分に戻りたくて、私は国家公務員の退職を決めたと言っても過言ではない。

幸いなことに、3月に退職して関西に引っ越してきてから、体調が悪い日々もありつつ、少しずつ早起きできる日が増えてきた。

今日は、昨日に引き続き7時半に起床し、9時半からメイクとヘアのセットを始め、10時過ぎに家を出て、徒歩10分のところにある比較的いつでも空いているスタバに向かった。

そして、昨夜ご飯を炊きそびれて今日の朝ごはんがなかったので、お腹空いたなと思ってシュガードーナツとカフェモカを頼んで席に着いたあたりで、冒頭の会話を聞いたのだった。


スタバに来る途中、私は今日noteに投稿する予定の記事についてアイディアを練っていた。

今日は、容姿コンプレックスへの向き合い方をテーマとしようと考えていた。

私は、悪意のない男子から不細工いじりをされたこともなく、多感な中高時代に自分の容姿について悩むことも特になく、容姿コンプレックスとは無縁な人生を送ってきた。

しかし、新卒で某省に入省して、過労と人間関係のストレスで追い詰められ始めたタイミングで、いきなり容姿コンプレックスが発現した。

今振り返っても、なぜそうなったのかよく分からない。

何かきっかけとなる出来事があったわけではなく、容姿に対して本当に何も感情を抱いてこなかった人生だったし、仕事のことで悩んでいる状態で何で容姿のことに話が飛ぶのか、論理的に説明できない気がする。

それでも、当時の私はこのように考えていた。

私がもっと可愛ければ、こんなに仕事で追い詰められずにすむのかな。

私がもっと可愛ければ、○○先輩は私のことをあんなにきつく叱らずにすむのかな。

私がもっと可愛ければ、たとえ仕事ができない無能な人間だったとしても、自分の可愛さが自尊心の源になってくれるかな。

一言で言うと、仕事のストレスから逃れる唯一の方法は自分の容姿に自信を持つことだと思っていた。

そして、仕事ができない上に優れた容姿も持たない自分には何も魅力がない、と自分を追い詰めていた。

実際のところ、マジレスすると社会人1年目は仕事ができなくて当たり前だし、私も過去の先輩方に比べて仕事のパフォーマンスが劣っていたわけではなかった。

また、容姿に関しても、悲観的になるほど悪いわけではないはずだった。

たしかに、仕事が忙しくなるにつれてメイクやファッションを楽しむ余裕もなくなり、ほぼノーメイクに、シンプルというのは名ばかりの地味な格好で仕事に行っていたので、自信を持てる状態ではなかった。

それでも素材は悪くないと自分でも思うし、私の両親は若い頃結構な美男美女だったようで、私も色んなパーツを良いように受け継いでいるので、殊更に容姿が悪いと落ち込む必要もなかった。

結局のところ、仕事のストレスに押し潰されたことで思考が制御できなくなり、仕事以外のことにも自責感の矛先が向いてしまったのだろうと思っている。

休職して仕事から離れたことで仕事のストレスから逃れることができたので、一旦は容姿コンプレックスのことも忘れることができた。

しかし、メンタルがかなり復調した今でも、どうしても自分の容姿にきつくダメ出しをしてしまう瞬間がある。

鏡に映る自分、他撮り写真に映る自分、ビルのガラスに映る自分が、本当に可愛くない。

背が低い。首が短い。とにかく地味。垢抜けてない。

綺麗にメイクをしても、綺麗にヘアセットをしても、好きな服を着ても、どうしても自分の容姿の至らないところばかりを見つけて心の中で冷たく罵ってしまう。

それが苦しくて、最近は容姿を含めたコンプレックスの克服方法を調べて、片っ端から試してみていた。

色んな方法の中で特に多く見られたのが、鏡に映る自分に向かって「可愛いね」とか「美人だね」とか、肯定的な言葉をかけてあげる、俗に言うアファメーションというものだった。

私も、先月は毎朝顔を洗ったついでに実践していたのだが、「いやいや、自分の顔見てみ? そんなことよう言えるな」と即座に自分で否定し、余計に落ち込むのが常だった。

そんな私の根深い悩みについて言葉にすることで、少しでも心が軽くなるのではないかと思い、今回noteに投稿してみようと思い立ったところに、今朝のスタバの一件が起こったのだった。

母親は、自分がお腹を痛めて命懸けで産んだ我が子に対して、無条件の愛を注ぐ。

我が子に対して「あんたの目は小さいな。誰に似たんやろ」などと罵るなんてことは普通は考えられない。

たとえ目が小さかったとしても、鼻が低かったとしても、母親の目から見たらどんな子でも愛しい我が子なのだと思う。

そんな愛に溢れた関係を、自分に対しても築くことができたら、どんなにいいだろうかと思った。

これまでの私は、少しばかり自己肯定感が低かったのかもしれない。

仕事でミスをしても、メイクする余裕がなくて顔がイケてなくても、彼氏ができなくても、何かがうまくいかなくても自分には固有の価値があることをいつでも信じられてきただろうかと、ふと振り返りたくなった。

そして、母親が愛する我が子のことが愛しくて「今日も可愛いね」と優しく頭を撫でてあげていたように、私も、今後何十年の人生を共に生きていく私を、「今日も可愛いね」と言ってそっと抱きしめてあげたくなった。

私の容姿コンプレックスは、近い将来、克服される予感がした。

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