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発達凸凹アカデミーができるまで①

『ママがママを支えていく』をテーマに、2017年に開講し現在全国に100名を超えるインストラクターがいる発達凸凹アカデミー。


発達障害やグレーゾーンといわれる子どもたちの親ごさんや、支援者さんたちの学びと交流の場です。

これから書くお話は、

横浜のすみっこで始まった小さなちいさなママたちの集まりが、いつしか全国規模の資格取得スクールになったという話。

主催者の私自身が何かものすごい情熱をかけてやってきたというより、いろんな人に背中を後ろからどつかれながら、気づけばこうなってしまった、という、

何とも不思議な感じについて、書いていきます。


私のこと

改めまして、私は発達凸凹アカデミー主催の伊藤真穂と申します。


2人の子どもがいて、次男のしんちゃんは現在特支援学級に在籍する小学4年生です。

私は、

東京の小平市というのどかな郊外で生まれ、小さい頃から活発で、とにかく気の強い女の子だったそうです。

30歳で長男を出産、その6年後、しんちゃんは東日本大震災の3ヶ月前に産まれました。

ふつうの赤ちゃんだった0歳

赤ちゃんのころはよく笑う子でした。6年ぶりの赤ちゃんは、孫のようにただただ可愛いだけでした。

実は、産まれて半年ぐらいのことはあまり覚えていません。

しんちゃんが産まれた12月は、長男があと3ヶ月で小学校入学、というタイミングでした。

ずっと1人っ子で、家族や私の両親から全愛情を独り占めしていた長男。しんちゃんが産まれた時に病院に見に来たのですが、パッとみて帰ってしまったそうです。

複雑な思いもあるだろうと、私はとにかく長男を優先しました。

しんちゃんをいつも背中におぶって、家事やら何やらしてたことしか覚えていません。

首座りや寝返り、つかまり立ちは普通だった気がします。

歩くのは長男も1才半と遅かったので、気にしませんでしたが、同じくらいか、もっと遅かったです。

生後8ヶ月から、公立の保育園に入っていました。

結果的に、3歳児クラスで転園せざるを得なくなりますが、この時は卒園まで6年間お世話になるつもりでした。

1歳半健診でことばの指摘を受ける

本当に普通の赤ちゃんだったしんちゃんですが、1歳半の健診の時に、『ぶーぶー』や『まま』などの発語がないことで『様子をみましょう』という話になります。

しかし、私は男の子だしちょっと遅いのかも、なんてのんびり構えていました。

2歳になっても話さない

しんちゃんに発達の遅れがあると焦りだしたのは、2歳になったころ。

相変わらず、ブーブーどころか、喃語さえ発しません。

泣くときはさぞかしデカい声で泣くのですが、日常的に声を発することがないのです。

保育園でも2歳児ともなればかなり会話もできるし,友達同士で会話しながら遊びます。

オムツも全く取れる気配がありません。

3歳児クラスに上がってすぐ、
担任の先生と園長先生に呼ばれました。

初めての涙

『しんちゃん、同じ歳の子どもたちに比べてできないことが多いんです。お母さん、療育センターって知っていますか?』

発達に遅れのある子どもたちや、障害のある子ども達の親子を支援する地域の施設です。

先生方は、まずはそこのソーシャルワーカーさんに相談してみては?というご提案でした。

療育センターと保育園とご家庭で、しんちゃんの成長を見守ることができる。

そんなお話でした。

私はそこで、先生たちの前で泣いてしまいました。

それまで、なんとなく抱えていた不安。

なんでうちの子だけ話さないんだろう。
なんでうちの子だけオムツが取れないんだろう。


なんだかわからず、ぼんやりと抱えていた心の中にあった灰色のものが、真っ黒になってしまったような気がしました。

小さい頃から負けん気の強い私は、
大人になってからも人前で泣くなんてあり得ないのですが、

とにかく涙がポロポロとでて、止まらないのです。

ただ療育センターを紹介された、というだけなのに。

療育センターでの面談

すぐに予約を取りソーシャルワーカーさんと、面談をしました。

でも私の中では、

『しんちゃんはちょっと成長が遅いだけ。もう少ししたら、普通の子たちに追いつく』

そう考えていました。

だから面談でも、

『ことばは無いけど、言いたいことはわかるので日常生活は困ってない』

とか、

『やりたいことや伝えたいことは、いろんな方法で伝えてくる』

とか。

うちの子は大丈夫なんで!

みたいな親でした。

私は何かと戦っていました。

戦わないと、壊れてしまいそうだったので。

だからソーシャルワーカーさんに、

『医師の診察の予約は取りますか?』と提案されても、

『いいです。もう少し様子をみます』

そう断ったのです。

その3ヶ月後ぐらいに、
電話して予約を取ることになるのですが。


やはり何かが違う

夏が終わる頃。
しんちゃんの発達の遅れは、ますます顕著になります。

しんちゃんは12月生まれ。

あと少しで3歳になるのに、相変わらず会話どころか、単語ひとつ発しません。

いつも寝転がって、電車や車の車輪が回る様子を見ていました。

よくよく考えると、声を発すること自体がないわけです。

私は、突然焦りだしました。

『これは何か動かないと、まずいことになるかもしれない』

すぐに前回お話したソーシャルワーカーさんに、

『医師の診断の予約をしたい』

と電話しました。

いま思うと、医師にみてもらって何か解決するわけではありませんが、とにかく何かしないといられない気持ちでした。

電話したのは9月でしたが、最短で予約が取れるのは2月でした。

前回の面談で、わたしの変なプライドは捨てて、さっさと予約だけでもしておけばよかったと後悔しました。

療育スイッチからの苦悶

医師の診察まで、何かできることをしたい!と、私は療育スイッチが入ります。

・個人の療育アドバイザーさん3人ぐらい
・近所の施設
・民間の発達支援センター
・発達障害のクリニック
・食事療法専門のクリニック
・障害は治る!という団体の体験面談(マジでヤバかった)

などなど。

私は、

しんちゃんに何を求めていたのでしょうか。

どうなってほしかったのでしょうか。

なぜ、

そのままのしんちゃんを受け止めてあげることが、できなかったのでしょうか。


とにかく、

人並みに話せるように。
みんなと同じことができるように。

いつかはみんなに追いついて『普通の子』になる。

そんな風に信じてました。

むしろ『母親の私が諦めたら終わりだ』ぐらいに思っていた私は、いっぱいいっぱいでした。

肩ひじはって、
全身全霊でしんちゃんに向き合ってました。

それが、ただの自己満足だったということに気づくのは、もう少し後のことです。

できないことを叱る日々

だから、

しんちゃんがうまくできないとイライラして、よく怒鳴りつけたり、睨みつけたりしていました。

『私はこんなに一生懸命やっているのに、なんでできないの!』

話すための訓練的なことも、
うちでやりました。

音声さえ発しないしんちゃんに、
『言わせる』のです。

例えば三角形を見せて、
わたしが『これは、さんかく』と言います。

しんちゃんが『さんかく』と言えたら、
ご褒美にお菓子をあげる、というもの。

どんなにがんばってもしんちゃんは、

『・・・く』

です。

今だったら、

『く、が言えたね』と褒めてあげられるのですが、当時の私には、できませんでした。

今でもその頃のことを思い出すと、涙が出てきます。

なんてことをしてしまったんだろう、と。

私がこんなにわからないんだから

どうしても「発達凸凹アカデミー」の話をするのに、自分の子育てのことを書かないといけないので、①はしんちゃんの話で終わってしまいました・・・。

この後、発達凸凹アカデミーの前身となる「発達凸凹セミナー」をやるようになります。

結局、これまでお伝えしたように、私もこのような子育てをどうしていいのかさっぱりわからなかったわけです。

もっと困っている人が、いるんじゃないか。

私も知りたいし、専門の先生方に講演をお願いして勉強できる場を作ってみてはどうか。

表に出てこないけど、同じように困っている人たちは、もっといっぱいいるんじゃないか。

そーゆー人たちが繋がれて、ついでに私も学べたらラッキーだし!

そんなノリでやってみた「発達凸凹セミナー」

この時はまさか、この小さな横浜の端っこで始まった活動が、全国にインストラクターを輩出していく資格取得スクールになるなんて、夢にも思っていませんでした。

次の話では、ここからアカデミーになるまでのお話を書こうと思います。


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