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4月の変化

1日があっという間に過ぎていく。

ああもう明日から仕事か。そう呟く日曜の夜。
でも気づいたら金曜の夜を迎えている。

4月はそんな日々だった。

桜ってちょうどいい

3月末から、
少しずつ世の中がお花見ムードになっていた。

4月の最初の週末、初めて金沢に行った。
ちょうど桜が満開を迎えていた。

たくさんの人がいた。
たくさんの人が、足を止めて桜を見ている。

正直、少し前まで桜の良さがわからなかった。
花粉症もあって、花見とは疎遠だし。

でもさすがに。
満開すぎて、嫌でも桜が視界に入ってくる。
圧倒された。

太陽の光に照らされる桜。
夜のライトアップではその表情を変える。

風が強かったこともあって、
満開を迎えてすぐ、散り始める桜。

川に散った桜が、水に流されていく。

永遠には続かないその感じが、
とても好きになった。

今年の桜も綺麗だなあと、
見にこれて良かったねって。

そんな気持ちが飽きてなくなる前に、
桜は散っていく。

何も変わらない月曜日

社会人2年目になった。

だからと言って、何かが変わったわけじゃない。

1年前みたいに、
会社に行く時のそわそわはもうないし、
目の前に広がる風景は、いつも通りだった。

普段はラフな服を着ることが多いけど、
気持ちを引き締めたくて
1年前の入社式と同じスーツで会社に向かった。

小学校、中学校、高校、大学、そして社会人。
段々と1年の節目みたいなものが薄れていくのを感じた。

それが少し悲しくて、物足りなさを覚えた。

何かを変えたい。
変えないと、前に進めない気がしていた。

試しに生活リズムを変えてみる。

出社する時、
早くても7時半すぎに起きていたところを、
6時前に起きるようにして、早めに出社した。

早く起きた分、1日の予定の整理と、
足りてない準備、前日のやり残しを処理できた。

たった1時間半。
でも、気持ちを変えるには十分な時間だった。

どこか生き急いでいるような、
そんな日々には気分を変えたいというよりも
はっきりした理由があった。

武器を失ったから

なんでも、というわけじゃないけど、
社会人1年目の頃、
ある程度のことが「1年目だから」って
許されていたような気がしている。

間違えても、仕方ないし、
そこそこできれば上出来。

周りからそう思われているだけじゃなくて、
自分もきっと心のどこかでそれに甘えていた。

「1年目」という大きな武器を失った。

それに気づいた時から、
どうしようもなく焦ってしまった。

1年目から2年目になったところで、
大きく何か変わることはないと思っていた。

実際、2年目初日の風景はいつも通りだし、
仕事も1年目の延長線上だったし。

でも何より変わったのは、
自分自身の気持ちの持ちようだった。

もう甘えてられない、そんな焦り。
どうにかして前に進みたい、そんな焦り。

どこかに自分ができることが落ちていないか、
とにかく見つけてやり切ることに必死になった。

体力的にしんどくても、
そんな日々は、充実していた。

昔聞いたことがある父の仕事の向き合い方と、
どこか似ている気がした。

どうしても好きになれない

これまで生きてきて、自分がイラッとすることの共有点がわかってきた。

仕事に対しても、プライベートでも、
誠実じゃない人。

でもそれに気づいた後で、
じゃあ自分はどうだろう、と考えてしまった。

どんな相手に対しても、
自分の顔は変えないようにしているつもりだった。

でも実際は、相手の態度によって、
自然と顔を変えてしまっている。

自分に対して、他の人に対しても、
不誠実な相手には、
どう思われてもいいと思ってしまうから。

イラッとしてしまうのは、
「こうなりたくない」って気持ちからくるのに、
同じことをしてしまうのはどうなんだろう、
と思ったりもする。

でも、色んなところに反面教師がいることは
私にとって大きな財産だ。

そう思うことで心を落ち着かせる。

他人だからって諦めることはしたくないって、
いつかツイートしたことがあるけど、

他人は所詮他人だと割り切ることも
時には必要かもしれないと、今は思う。

他人に対してイラッとしたり、
モヤモヤするときは、
それを反面教師にして、
自分ならこうする、を実践すればいいんだ。

気づいてないフリ

ずっと前から、知っていた。

阿部さんが新書を出したことを。

でも、ずっと、手に取ることが怖かった。

『あの日、選ばれなかった君へ』

このタイトルが、自分に向けられているような、
これを読んだら、何かが大きく揺れ動きそうな、
そんな恐怖を感じていた。

Facebookにふと目が留まって、
阿部さんからメッセージが来てたことに気づく。

そろそろ読むか・・

そんな気持ちで書店に向かう。

ページをめくる度に、怖さは薄れ、
そこに何が書かれているのか気になって、
あっという間に読み終えた。

読み終えて、スッキリした。

読み終えて、気づいた。

私は今、仕事に前向きになっているんじゃない。

仕事に逃げている。

もっとこういうことがしたい、とか、
プライベートで悩んでいることをどうにかしたい、とか。

考えてもどうにもならないことよりも、
やればやるだけ評価される仕事。

仕事は裏切らない。

そんな安心感から、仕事に没頭していた。

そんな事実にハッとして、
ドキドキが止まらない。

日々のモヤモヤをかき消すように、
それに気づかないフリをするように、
うまくやっている実感を得ながら、
ただただ逃げていた。

かつての選ばれなかった自分に、
「そんなもんか?」という言葉をかけたように、
きっと今もその言葉が私に必要なんだと思った。

選ぶ人、選ばれる人

本を読み終えた後、
私は初めて選ぶ側として面接の場に立った。

面接の主人公は、学生だ。

なのに何故か私は妙に緊張していた。

2年前、とても苦しかったから。
就活がうまくいかなくて、
どこでもいいから私を選んで欲しい、
そんな焦りと不安で押しつぶされそうだったから。

そんなかつての自分の姿を学生に重ねてしまいそうで、自分で面接官に手を挙げておきながら、
そわそわしていた。

でも実際、面接に参加して感じたのは
「伝えることの難しさ」だった。

学生時代に頑張ったこと、志望動機・・

どんなに自分の中でうまくまとめられた言葉でも、想像以上に伝わらないということに、
話を聞く側になって気づいた。

自信満々な表情で話す学生を目の当たりにして、
2年前の自分を重ねずにはいられなかった。

面接は、企業・学生のどちらにとっても
選ぶ場所だ。

でも2年前、私には選ぶ余裕がなかった。
選ばれたい気持ちが先行して、
選ばれるって意識しかなかった気がする。

そして面接官の難しさも知った。
学生に対してどんな意図でどんな質問を投げかけるか。

それによって面接の流れが大きく変わる。

どんな質問をすれば、
学生のどんな姿が見えてくるか。
それによって何を判断できるのか。

考えなければならないことがたくさんあった。

選ぶ人の立場に立って、
選ばれる人だった自分の過去を思い出しながら、
たくさんの学びがあって、
嬉しい疲れがどっと出た。

そして何より、人事でもないのに
こんな貴重な機会をいただけたことに感謝している。

考える先が変わった

1年前の私は、
今日起きたことを振り返る日々だった。

社会人2年目になってから、
自然と明日のことを考える日々になっていた。

1日1日、やり切った実感があるからなのか、
過ぎたことはどうにもならない、
そんな風に考え方が変わったからなのか。

どっちにしても、
1年間考え尽くしたことが、今に活きている。

他人のことに費やしていた時間が減って、
自分のことを考える時間が増えていく。

自分らしくありたい、とか
自分を失わずにいたい、とか。

言葉ではそんな風に言いながら、
自分自身とちゃんと向き合ったのは、
久しぶりだっだのかもしれない。

去年は暇で仕方なかったこの時期。

明日も明後日も、GWが明けてからも、
慌ただしい日々があることに安心感と嬉しさがある。

よし。明日も、頑張ろう。


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