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夏が暑いから

久しぶりの1人の時間。

25回目の誕生日を迎えて、
仕事も生活も見つめ直していく。

暑い熱い1ヶ月だった。

リズムを整える

ゆっくり家で過ごすことが久しぶりで、
感覚を取り戻すことから始まった。

ご飯もお風呂も、その時の気分に任せて決める。
なんだかひとり暮らしを始めた6年前を思い出す

1人って楽で良いな。
その快適さの裏で、
誰かと暮らすことの難しさに気づく。
そしてそのまた裏で、
今日起きた出来事をそのままのテンションですぐに伝えられる相手がいない寂しさにも気づく。

ほんとにないものねだりだ。

遅くまでダラダラして、
夜中2〜3時に寝る生活がしばらく続いた。

やるべきことはやるけど、
それ以上でもそれ以下でもないような
中途半端な日々を送っていて、
頑張ると決めたのにこのままで良いのかなと思いながらも体がついていかなくてモヤモヤした。

25歳になって

20代中盤で、1つ数字が大きくなっても、
何かが大きく変わることはないと思っていた。

でも思っていたよりも
24→25の変化は重かった。

四半世紀を生きた、
そして母が兄を産んだ年齢でもあって、
まだまだ未熟な私にとって、
「25」は似合わないと思った。

社会人としても、
1人の女性としても、
成長したい。

もっと強くしなやかになりたい。

誕生日ってすごい。

小さい頃は好きなキャラクターが描かれたケーキを買ってもらえて、なんだか主人公になった気分で何も考えずウキウキしていたけど、
大人になると過去を振り返ったり、
将来を見つめる1日になる。

25歳ってこんな感じだったなって、
何歳になってもはっきり思い出せる、
そんな日々を送りたいな。

ちっぽけだ

会社で大きな行事があった。

結果を残したプロジェクトや個人が表彰される。
4月に中途入社した私は、それがどんなものかわかっていなかった。

次々に表彰されていく人を見て、
なんだか悔しさを覚えた。

転職して4ヶ月目、
少しづつ色んなことに慣れて、
なんとなく「ああこんなもんか」と
思っている自分がいた。

でも違った。
みんな、色んな想いで仕事に向き合っていた。

どこかで社会人に、仕事に限界を決めて、
かつて自分がなりたくなかった目が死んだ社会人になりかけていた。

帰り道、ふと立ち止まって空を見上げる。
自分の存在がとてつもなくちっぽけに感じて、
こんな自分は嫌だ。
このままじゃダメだ。と思った。

人の想いに突き動かされて、
自分の弱さに気づいて、
頑張ろうと思えて、
やっぱり1人じゃ生きていけないなと思った。

想いを受け止めてくれる環境を無駄にしないで、仕事に、周りに、自分に、
ちゃんと向き合おうと思った。

1人の時間が欠かせない私でも、
誰かと分かち合ったり、
切磋琢磨する時間が大切だと分かった。

占い

今まで胡散臭いなと思ってしてこなかったけど、
友達と勢いで占いに行った。

「考えることを軸にした方がいい」
「周りに気を遣うから疲れやすい」
「水の流れのように環境を変え続けた方がいい」

妙に納得感があった。

そしてあまり周りに話していないのに
「お母さんを強く感じる」と、
私が常に意識してしまっていることを言い当てられてびっくりした。

「もっと自己肯定感を高く保った方がいい」
「ナルシストくらいがちょうどいい」

私の中には強い自分も弱い自分もいて、
考え過ぎた時はいつも弱い自分に引っ張られてしまうけど、それが良くないんだと分かった。

全然期待してなかったのに、
このままで良いことと、
もっとこうした方が良いことが、
これまで自分が考えていたことと当てはまって、
間違いじゃなかったんだと、自信が持てた。

ただの偶然かもしれないけど、
その偶然に背中を押されることもある。

自分にとって都合の良いように考えて生きるのが、幸せに生きる方法なのかもしれない。

それが難しかったりもするけど、
迷ったらまた占ってもらうのもありだなと思った

締め切り

仕事で「この日が締め切りね」と言われると、
ついついギリギリまで本気が出ないことがあった

でもかなりタイトなスケジュールに対峙して、
速さだけじゃなく、
クオリティも諦めたくないと思った。

その時久しぶりにゾーンに入った。
集中力が途切れないうちに、
できるところまで一気に進めてしまいたい。

時間も忘れて、パソコンに向かった。

それ以外の仕事にも、同じ熱量で向き合えて、
今日が何曜日か分からなくなってしまうくらいに、毎日必死だった。

そうそう、これこれ!と、
こんな日々が久しぶりで、嬉しかった。

どんな仕事でも、自分の気持ち次第で、
たくさん学びが得られる。

やっぱり、
「考える」ことを諦めてしまってはいけない。

締め切りは単なる提出期限じゃなく、
どこまで突き詰められるかのチャレンジだ。

また家族

綺麗なものを見たとき、
美味しいものを食べたとき、
嬉しいことがあったとき、
面白いことがあったとき、
無意識に家族に連絡していることに気づいた。

自分でも良く分かってないけど、
どこかで自分だけいい気持ちでいたら申し訳ないというか、一緒に見れたら良かったな、一緒に食べれたら良かったなとか、ふと思ってしまう。

大人になっていくほどに、
離れた場所に住んでいて、
会える時間も限られていて、
ずっと一緒にはいられないことを強く感じるようになったからだろうか。

子どもの頃は毎日一緒にいたのに、
「いつかまた」「タイミングが合えば」が増えて
「あの時こうしてたら」と後悔する日が来そうで怖い。

上京なんてしないで、
ずっと実家にいたら良かったかな、
でもきっと離れたからこそ気づけたんだと思う。

自分の人生と、家族で過ごせる時間、
どっちも妥協したくないけど、
どうしたらいいんだろう。

後悔しないように生きるって、難しい。

気づけば家族のことを考えている。
大人になっても、
いつまでも子どもなんだと実感する日々だ。

1年後

来年の夏も当たり前のように誕生日を迎えたい。
来年の夏も同じ場所で同じ花火が見たい。
そして来年の夏はもっと熱い夏にしたい。
夏が暑いから、頑張れる気がする。

自分を諦めたくないから、
8月も精一杯生きよう。



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