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ふと考えたことシリーズ。終わり方によってできること変わるな~

ふと考えたこと。
明日世界が終わるってなったら何をする?ってよくきく質問じゃん?
そのときに、明日世界がどうしようもない力で終わってしまうときと、
明日病気とか寿命とかそういうので死んでしまうってなったとき、
何をするかって変わってくるよなーってふと思ったり。

今こうやって文字に起こしてみて気づいたのが、
もれなく人類全員一緒に消えるのと、自分個人だけがこの世界から消えてしまうのとの違いか。とちょっと納得。

みんな一緒に消滅するってなると最後までこの社会の一員としての意識が働いてあんまり羽目をはずせなかったりしそうだなと。
周囲にうつる自分の姿を最後の最後まで気にしてしまいそう。

でも、自分だけが死ぬってなったとしたら、
そのときはなんか吹っ切れてほんとに自分が最後したいことを
思いっきりできるきがする。もうどう思われてもいい、自分はやりたいことをやる!ってなれそうな気がするんだよね。

なんでかな~。書いてたら、以外と逆の方がありそうなのにな~って思う自分もいて。自分だけ先に死んでしまうってことはさ、みんなの世界はまだこれからも続いていくわけで。そしたら、生きてる人たちの中で、死んだ私はこんな人だったって語り継がれてしまうわけじゃん?なんていうのかな名前残っちゃうじゃん?(語り継がれるほど誰かの記憶に残れるのか問題は別にして)それに対して、全員で滅亡パターンはさ、今後の自分を語り継がれることはないじゃん。そしたらそれこそもうなにやってもよくなりそうな気がするんだけど、、、
でもここまで書いたうえでもやっぱり私は、自分だけが死んでしまうときのほうが振り切れるきがするんだよな。

みんなが一緒だとさ、最後までみんな一緒にみたいな。足並みをそろえましょうみたいなのが働くのかな。今日が最後の日だからみんな好きなことしちゃおうぜみたいなのにのってしまいたくない天邪鬼なのかな(笑)
うーん。
なんか人の目を気にしてしまいそうなきがするんだよなー。

一方自分だけが死んでしまう方。
こっちはやけくそ?後悔したくない?がなんかより強い気がするんだよな。
どうせ死んじゃうんだから最後くらい羽目はずしちゃっても怒られないでしょみたいな。
なんだろ。くやしさ、、、みたいなのがあるのかな。なんで自分だけみたいな気持ちがもしかしたらどこかに働くのかも。

なんか考えれば考えるほどあんまりどっちも変わらないんじゃないかと思える気もするんだけど、やっぱり、一人で死ぬのとみんなで死ぬのはちょっと違う気がする。

ただ、ほとんどの場合が自分がいつ死ぬのかなんてわからないから、怖いよね。それが一番つらいよね。
振り切ってやるまえに消えちゃうかもしれないからね。
だから、怖いけど、常にこれでいいんだって振り切れるような選択をしていきたいよね。中々難しいけど。

生きていくってほんと大変だ。

という答えのない、
ただ私がふと考えたことでした。

おわり

p.s. みんなはどうかな~よ かったら聞かせてね

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