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潰した缶をひたすら描いた遠い夏

空き缶を潰していたら恐ろしく昔の夏が見えた。

こんな風に潰した缶をデッサンの練習でやたらと描いたのは中学生の夏休みだ。自分には絵は描けないと既に理解していたので、高い月謝を払ってもらってるのに、真面目に取り組んでいなかった気がする。デッサンの練習というよりは単なるエスキス。先生がエスキスを変な訛りで「エスキ~ス」と発音するのを一々笑ってたのも思い出した。潰した缶をひたすら描いた遠い夏。

Yちゃんという一学年下の女の子が絵画教室にはいた。彼女は中学生とは思えないレベルの画力を持っていて、写実的過ぎるトルソはよく教室に飾られていた。当時、学校の美術で大嫌いだったのがレタリングだった。隣に座っていたYちゃんに何となくそう告げると、彼女は自分のレタリングを見せてくれた。それは売ってるフォントのように緻密で、真面目に衝撃を受けた。お前、絵だけじゃないのかよ!?的なショック。それがきっかけで彼女とはよく話すようになった。彼女の実力に、不思議と嫉妬は感じなかった。ぼくらの差はもう嫉妬するようなレベルではなかったのだ。

Yちゃんとは交際する訳ではなかったけれど、それでも単に違う学校の後輩と表現できない感じの親しい関係が続いた。そして高校生になってからは、萌えなんて言葉が今の意味で使われるずっと前だけど、彼女はオタク的な絵を描くようになっていた。萌え絵が描きたくて練習する今の子とは違って、完璧に画力という下地がある彼女のイラストを見て、ぼくは何となく怖くなったのを覚えている。こいつ化けるんじゃね?みたいに。

実際彼女は数年後に化けた。Yちゃんのペンネームなり関わった作品なりを明かしたら、オタクならみんな驚くレベルの化け具合だ。彼女と最後に会ったのがいつだったのか、もう思い出せない。年賀状はつい最近まで届いていたけど、一切返信しないぼくに呆れたのか、それも来なくなった。

決して最後のシーンではないんだけど、それでも覚えている光景は一つある。大学進学が決まったぼくに「絵描かないのに芸術大学行くとか、それじたいがアートやん?」とYちゃんが笑った日のことだ。今となってはその笑顔は曖昧模糊としているけれど、振り返った制服のスカートが揺れる様とか、夕陽で逆光になった街のシルエットとか、他愛ない景色の断片は思い出せる。

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