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人の価値は本当に不変か?
今日は人の価値について少しだけ考えたので、特に取り留めもないが書き記しておきたい。
人の価値について考えるようになったきっかけは、なんてことない、ただの暇つぶしから始まった。
以前インスタグラムのリールを見漁っていると、外国人の教授らしき人が人の価値について授業しているという動画を見た。
教授は20ドル札を例に出し、その20ドル札を握りつぶしたり踏みつけたりしてその度に生徒にこの20ドル札が欲しいかと問い、生徒は欲しいと答えた。教授は生徒が20ドル札がどのような状態になっても欲しいのは20ドル札それ自体が価値を失っていないからだ、人も同様に苦しいことや絶望することがあったとしてもその人自身の価値がなくなるわけではないという話をしていた。
確かに最もらしい意見であるとは思う。
だがしかし、人の価値は本当に失われないのだろうか?
僕が見た20ドル札と人の価値の動画では、なぜ人の価値も20ドル札の価値と同様に失われないかという理由まで言及していなかった。(ショート動画だったため)
20ドル札という一見すると単なる紙切れが価値を失っていないのは、ただ単に社会が価値のあるものとして”今のところ”定義づけているだけだからなのではないか。そんなお金だって、社会情勢によってコロコロと価値が変わる。ジンバブエドルなんてその際たる例なのではないだろうか。皆にとって必要とされているはずのものでさえ、その価値は失われる可能性があるのである。
人であれば尚更その可能性は大きい。ナチスがユダヤ人の価値を貶めたように、いくら個人が自分の価値は失われないと思っていても、それは他人にとって重要なことではないのではないか。
哲学には明るくないため、これ以上深く考えるためには哲学者の知恵をk理ねばならないため、今日はこんなところで。
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