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死には苦痛が必要なのか
今日の新聞には昨日亡くなられた経団連元会長、中西宏明氏ついての記事や、先日亡くなられた「知の巨人」立花隆氏についての記事のほか、闘病している人や病気から復活した人の話などが盛り沢山だった。私は普段からそこまで生とか死とかについて考えているわけではないが、こんな記事が盛りだくさんの新聞を読んでしまっては否が応でも考えざるを得ない。
私は正直別に今死んでも構わない。ただし、痛いとか苦しいとかはセットにしたくはないけれど。積極的に自分の死を願っているわけではないが、そこまで生にしがみつくほどの理由も今の自分には持ち合わせていないだけである。だから苦しいのはいやなのだ。
自分の死のタイミングを想像してみると、どうしても「痛い」「苦しい」「悲しい」という形容詞が私の周りを駆け回る。これは若さゆえなのだろうか。歳を取るたびにこういう感情は無くなっていくのだろうか。私はこの問いについて、現在私が死と苦痛が番になっているのは、自分の人生で死を意識したタイミングに苦痛が伴っていたからだと考えている。事故にあった時、大きな怪我をした時、空腹の限界の時などなど。冷静に考えた時に苦痛を伴わない死に方ってほとんどない気がしてきた。まぁ死に苦痛が必ずついてくるかは死んでみないとわからないわけだけど。
自分がどんな死に方をするのかな。
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