スーパーセンシティブ6 #31歳うつ克服日記
▼うつ克服の体験談一覧
https://note.com/mahiru2go/m/mfb709f683172
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■長男出産
初めての出産には、主人の立ち会いを希望しました。陣痛に苦しむ私を、彼は献身的に支えてくれました。産後すぐに撮った家族写真には、疲れ切っているけれど達成感に満ちた顔の私と、喜びと緊張と大きな責任を負った顔の彼がいました。
■産んだら終わり?
子どもの生まれる瞬間に立ち会った彼は、「2人を守らねばならない」と強く思ったのでしょう。以前にもまして仕事に積極的に取り組むようになりました。
でも、私が彼に求めていたのは違うものでした。
産後すぐは実母が泊まりで手伝いに来てくれましたが、再婚していた母には自分の家庭もあるため、滞在は2週間が限界でした。
母は自宅から2時間ほどのところに住んでおり、気軽に手伝いにくるという距離ではありません。義母はさらに遠方に住んでいるため、2週間の猶予が過ぎると私が日常的に頼れる人は居なくなりました。
主人の帰りはいつも24時近く。朝は8時過ぎに出て行く生活。ギリギリまで寝ているので朝の支度をしたらすぐ出社。会話をする時間もありません。夫婦間の会話はどんどん減っていきました。
彼なりに家庭を守るために「頑張って」くれていたのでしょうが、私はただただ孤独を感じるようになっていきました。
■迫り来る不安感
ご飯は宅配弁当やおにぎり、パンで賄えましたが、初めての子育てによる不安感はひとりで補えるものではありませんでした。
息子はよく泣く子で、泣いたらなかなか落ち着かない子でした。5分寝て15分泣き叫んで疲れてまた5分寝て。不安×不眠×栄養不足のコンボで私の神経は驚くべきスピードですり減っていきました。
■離婚?
しばらく落ち着いていた「不安」症状がまた出てきたため、心療内科のカウンセリングに、また通うようになりました。
懇意にしているカウンセラーさんに全てを話したところ、「そんなに辛い状況なら、離婚するのもひとつの手だよ」とアドバイスを受けました。
(離婚したら私、どうやって生活していけばいいの?)
1年も満たさず社会生活からドロップアウトした私にとって、経済的生活保護者である主人との別れは恐怖でしかありません。精神的にも経済的にも主人に依存しきっていたので、離れるという選択肢はありませんでした。
苦しみつつも時間は流れ、私は2人目を妊娠しました。
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