お母さんと呼ばなくなった日

37歳女性、専業主婦(二児の母)
https://www.youtube.com/watch?v=3XvzugyAD6Y&list=PLUfTtJ-NfN0uBtr2P8OEcs3xVRG8JbJsn&index=5

【本文より抜粋】
私たちは母親から生まれるので
母というものを信ずるということが
一つの、信仰への第一歩になるということです。

自分の母親
そことの関係性です。

そして見つけた答えを少しずつ
具体的な行動として
日常で消化していったときに

神様への道が
また一歩大きく進むことになります。
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ヨガが終わった瞬間の
気持ちがまっさらな時に
母を思って

そのとき何を感じるか。

そのとき浮かんだことが
答えのかけらだとも言っていたので
早速試してみました。

終わりのマントラの前の
内観の時間に母を思ってみたら、

何も思い浮かびませんでした。

というか「母」が出てこない(汗)

社会的にも生物的にも
母親である人は思い浮かぶんですが
それは「ヨウコちゃん」であり
私の思うところの「オカアサン」と
結びつかなかったんです。

戸惑って多朗太さんに相談してみたら
そこで話したことが
ひとつの気づきだと言われました。

今日はその相談内容を載せようと思います。

高校生になり、
「お母さん」と呼ぶのが恥ずかしくなったのが
最初のきっかけでした。

当時「ママ」呼びは
そんなに一般的ではなかったし
「お母さん」はちゃんとしすぎていて
なんか嫌でした。

そこで母の名を
ちゃん付けで呼び始めたんです。

友達になったみたいで新鮮でした。


大学生になってまもなく
両親の不仲が露見しました。

私たち姉妹の前ではなんでもないように
しているようでしたが、
子どもは大人以上に色々察しています。

室内の空気は重いし
憂鬱な日々でした。

母と同じ部屋で寝ていたのですが、
母のすすり泣く声が聞こえることも多くあり
母が可哀そうだ。
守ってあげなきゃと思っていました。


とうとう離婚が決定的になって
母が出ていくことになりました。

母には言っていませんでしたが、
私は母についていくつもりでいました。

母をサポートしてあげたい。
そう思っていたし
「母をいじめる父と一緒にいたくない。
母と一緒にいたい」という気持ちもありました。


だからこそ、

「お母さん、一人で暮らすことにするね」

この一言は衝撃でした。

何で?
私を置いていくの?
あんなに心配してあげたのに。

裏切られた。

大学生当時の私には、
経済的な事情なんて頭にありません。
ただ母に見捨てられた
という気持ちしかありませんでした。

母はさらに言います。
「新しく住む家を探すの手伝ってくれる?
まいちゃんが頼りなの」

深い悲しみの底に落とされていてもなお
母に頼られるのは嬉しいことでした。

でもこのままじゃ動けそうにない。

だから
「お母さん」とさよならすることにしました。

今日からこの人は
「お母さん」じゃなくて「ヨウコちゃん」。

そう切り替えると心は少し落ち着いて
家を探すことも出来たし
引っ越し作業を応援することも出来ました。


その後の離婚も受け入れたし
新しくお付き合いする人の話も
その人と再婚する話も
全て応援出来ました。

今でもヨウコちゃんはヨウコちゃんです。

友達に近いけど
それよりもっと大事な人。
お父さん・お母さんのそれとは
ちょっとだけ違う人。

でも勘違いしないで。
すごく大切なの。

お母さんだけどヨウコちゃん。
ヨウコちゃんだけどお母さん。

「あの時こうしてもらえば」とかはないです。

それぞれの事情もあったし
別のものを選択すれば
また違うものを落としていったと思うので。

母を責めているとかもありません。
父のことも恨んでいません。

悲しいとか辛いとか苦しい思い出ではなくて
ただシンプルに、

どちらかといえばポジティブに、

ただ「お母さん」が「ヨウコちゃん」
になったよというお話でした。

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