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私の先生歴⑤

 愛を持って受け入れ、相手の意に添いながらレッスンしていく…という感覚を得た私は、それに満足してレッスンを行っていました。そう、しばらくは…。でも、もともとがコントローラーでリーダータイプの私が、それだけを続けていく…はずもなく。。。(笑)というのも、個性や感性に沿って、その子の満足する事に重きを置いていると、私の得意な事(もっとできそう!という伸びしろを感じとる)を伝えるのにも遠慮が出てきてしまい、なんでも極端にやってしまう性格なので、自分の言いたいことまで封印する事が増え…結果、みんなが想定の範囲内で満足し、それ以外の道を知る事がない…という事態に陥ったのです。。。これは、別に悪いことではなく、むしろ「普通」に安心安全で間違いが起こりにくいのですが、それ以上の結果を生み出しにくくなり(よっぽど能力が高く才能に溢れた人はべつですが)、結果、私が飽きてしまったのです。(笑)

個性や感性を大切に寄り添っていく…のも良いのだけど、私は自分が視えている可能性をもっと伝えて、そこに連れて行くための近道を教えたいし、その行った先の見たこともない景色を見せてあげたいし、私もそれを見てみたい!となり、もっと効率的に上達する道を提供しながら、見たこともない自分自身になる可能性を示した上で、本人の個性、感性を更に広げた形で乗せていこう!という考えに変わりました。

そこで、生徒さんのみたことのない可能性をより引き出すために行ったのが「即興演奏グループ」を立ち上げる事でした。自分でも遊びで即興をしたり、作曲をしたりしていたので解るのですが、即興って、自分への絶対的な信頼がないとできないのです。。出来るかな?どう思われるかな?なんていう気持ちがあってはできません。そこで一番大切なのが、「自分で居てもいいんだ」という、絶対的な自己存在感を持っている事。そして、それが得られるのは「無条件の愛」。何があっても受け止めてくれる存在となるものの一つとして、即興演奏が一役買ってくれるのではないか?と感じるようになりました。そして、「自分で居てもいいんだ」という絶対的な安心感からしか、可能性へのチャレンジは出来ないと考えています。

個性や感性を発揮するために絶対的に必要な「自己受容感」

私は、世の中の問題、特に人間関係の問題は、「自分自身を生きる」ということから外れてしまった人たちの中で起きていると考えています。世の中の全ての人達が「自分自身でいる」事に誇りを持ち、さまざまな形で自信をもって自己表現していったなら、いじめなどに関わる事は無くなっていくはずなのです。そして、一人一人が自分自身で居ながら、やるべき事に自信を持っていった先に、争う事なく、共存共栄していける世界が待っていると考えています。そのためにも、そういう世界で生きて行きたい人達は、「自分自身を生きる」ことが求められています。

どれだけ、最善の自分自身をイメージできるか?また、周りの大人達が信じきれるか?に可能性を開く道が用意されるか?否か?が試されている今、これからの未来を創るのは、一人一人のイマジネーション次第という事を忘れずにいたいものです。

可能性を開くレッスンとは、その存在を信じ、自分自身の人生を豊かに幸せに生きていくためのレッスンだと思っています☆

私の先生歴①  私の先生歴②  私の先生歴③  私の先生歴④

☆masami☆


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