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私の先生歴。①

 私が生徒さんを教えるようになったのは、大学3年生の頃。突然、大学の就職課から連絡があって、栃木のとある町の小さな音楽教室で教えてくれる学生を探しているからどうですか?とのことでした。

まだ教えたこともなかったのですが、幼稚園の頃から「ピアノの先生になる」と決めていたのと、なぜか、「やれる」という自信という名の過信(笑)があったのでしょう。。。若いというのは素晴らしい事です。。

ちょうど単位取得に必要な大学の授業数も減り、自由な時間が増えたので、確か土曜と月曜の2日間で20人以上の生徒さんを受け持って、教えるためのスキルが何もないまま教えはじめました。今思えば、あんな教え方でよく生徒さんがやめなかったなぁ〜と思います汗。そして、自宅でも生徒募集の張り紙をして、1人、2人と教え始めました。

その頃の教え方は、ただ目の前の曲を弾けるようにさせるだけで、何もその子に残らない。。。ただ、とてもラッキーな事に、素直で頭の良い頑張り屋さん、いわゆる『弾ける子』が多かったので、あまり苦労がなく、しかも、私は「その子が頑張れば弾ける曲」が自然と頭に浮かぶ特技があったので、発表会では結構冒険をさせて、聴き映えのする演奏をさせて親御さんに満足して頂いていた記憶があります。

大学を卒業して、高校の非常勤講師になってからも、ピアノを教える仕事を続けていました。その頃は若かったので、高校の先輩先生からの嫌がらせにも耐えられて(笑)午前中は学校、午後はレッスンという、私にとってはとてもハードな生活を続けていました。その頃も、まだ音楽教室で20人ほどおしえてましたが、自宅教室には5人ほどしか生徒さんがいなくて、お月謝の袋の束を見ながら、「これが10枚になったらうれしいな〜」と10枚になった月謝袋のイメージをよくしていたのを覚えています。すると、不思議なことに、そう思ってからそんなに遠くない時期に、それが自然と叶っていったのは有り難くも驚きの出来事でした。自宅教室が20人を超えるまで、「こうなったらいいな⇨実現」の繰り返しで少しずつ増えていきました。

ただ、どうして教えたいのか?どんな風に生徒さんを育てたいか?何を目指しているのか?なんて、何も考えておらず、ただ目の前の生徒さんを上手に弾かせる事を頑張る日々。。。また、自身も色んなコンサートに出演しながら演奏もブラッシュアップし続けていたので、生徒さん達に学んだ事をアウトプットするためにだったのか、難易度の高い曲を弾かせる事が楽しくて、みんなには本当に無理させていたなぁ。。と思います。ただ、それについてこられる生徒さん達は、とても上手になっていったのを感じていたので、大学卒業から2〜3年、高校の仕事にも慣れて余裕ができ、生徒さん達をピアノのコンクールにチャレンジさせる事を始めていました。少ない生徒数ながらも生徒さんの素質に恵まれていたので、簡単に成功するだろうと思っていましたが、そこからが私のピアノの先生として、人としてのダメさを知る事ができるきっかけとなっていきました。

つづく。。私の先生歴②

☆masami☆

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