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私の先生歴。②

 大学卒業して2年ほどした頃に、とても勘の良いMちゃんが大手音楽教室から入会してきました。私は、初めて会った時に、姿を見ただけで「この子は上手になりそう」というのが判るのですが、そのMちゃんもそんな生徒さんの一人で、どんどん上手になっていったので、入会2年目、小学2年生で県でも難しいとされるコンクールに参加させました。

その時の課題曲に選んだのが、今でも忘れません(笑)チャイコフスキーの「新しいお人形」と、ブルグミュラーの「貴婦人の乗馬」の2曲。とても上手に弾けるようになったので、これはいけるかも?と思ってしまっていましたが、結果は予選落選。。。原因は、いろいろありますが、一番は、その子にとって課題曲が少しレベルが高かった(違う課題曲なら通ったかもね〜と、知人のピアノの先生に言われました)、そして、1番の大きな問題。。。私自身がクラシック音楽とは何?という根本的な事を理解していなかったという事。。

そんな先生が何を生徒さん達に伝えられる事があったのか?疑問すぎます。。

それなのに、若かった私は、なんの工夫もせず、出来ない生徒さんを責め、自分のやっている事を肯定し続けた結果、その生徒さんは翌年、当時、地元でコンクール入賞者を多く輩出していた先生のお教室に編入し、私からは離れていきました。。そんな事は人生でもはじめての出来事だったので、激しく落ち込んだのを覚えてます(笑)今なら、何故そうなったか?良く理解できますが、当時の私はまだ精神的に幼かったので、ただただ落ち込んで、ただただ、自己嫌悪。。。

そんな低迷した時期にも、やっぱり沢山得るものがあり。。その頃から、『人の心』に興味を持ち始め、学生の頃に興味を持っていたユングやフロイトについての本も読み返し、カウンセリングについても知ることになりました。

そういった事を知るにつれ、ピアノを教える事は、その子の無意識を感じ取りながら、気持ちに寄り添って行う仕事…という思いが強くなっていきました。その間も、様々な生徒さんをコンクールにもチャレンジさせ、Mちゃんで成果を出してあげられなかった県のコンクールでも、賞を頂ける様にもなっていきました。

その頃のレッスンは、今とは全然違って、手取り足取り、気持ちが落ち込めば相談に乗って…とにかく世話を焼いて焼いて、尽くしていた感じです。それは、一見寄り添っている様に見えますが、実はただ甘やかしているだけで、全く子供を信頼していない教育ママのようでした。もちろん今思えば…ですが。。

丁度その頃に入会してきたのが、現在はピアノのお仕事をしているYちゃんでした。凄くやる気があって、コンクールも果敢にチャレンジ!小学2年生で初めて参加したピティナのコンクールで予選落ちしてしまって大泣きさせてしまった事をきっかけに、手当たり次第、ありとあらゆるピアノに関する講座を受けまくり、そこでようやく『クラシックを演奏する意味』が理解できるようになっていき、その結果、Yちゃんの笑顔を獲得!それと同時進行で、他の生徒さんたちも予選通過して本選に行けるまでに指導力を上げていきました。

が、それと同時に感じた事は…『もうこのやり方では立ち行かなくなる。みんなこんなに上手だけれど、これは、みんなの内側から出てくるものではない。私が目指したいものはこれじゃない。もう変わらなくてはならない』

そんなふうにハッキリと思ったのを覚えています。。ピアノを教え始めて、15年近く経っていたと思います。2007年。ちょうど、東鷲宮教室をはじめる前の年でもあります。

私の先生歴① 私の先生歴③

☆masami☆




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