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オンライン授業を考える

今、私が取り組んでいることは2つある。1つ目は、講師としてオンライン授業を行っていること。もう一つは大学生として履修するためにコロナ禍によってオンライン形式で講義を受けている立場にあることである。どちらも対面授業ではなく遠距離での非接触な授業であり、難しいところがあることを経験している最中である。ここでは気付いたことを書いてみたい。

●講師として取り組んでいる授業について

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 オンラインなので遠距離であるが、生徒2名の講師として授業を週3回取り組んで6ヶ月目に入る。最初は色々と慣れない面もあり、大変ではあったが少しずつ工夫などで授業スタイルを確定することがほぼ進めることができ、現在はスムーズなやり取りが展開されている授業風景となった。授業内容については、後日に色々と掘り下げて書いてみたい。(なお、先日の「手話を学ぶ大切さ①」、「手話を学ぶ大切さ②」で一つの授業例に簡単に触れている。)のように授業では学校では学べないことを自宅でより学んでみることを意識して取り組んでいる。学校は教科書で学ぶ環境であって、ここオンライン授業というのは、聴覚障がいそのものの実態のニーズに応じた授業を展開するという家庭教師並みのより良い教材で学びを提供するということである。

 始めたきっかけはある友人から情報をもらい、そこで自分が出来るのではないかと思って応募したところ、経歴上で引き受けてくれた。幸い、知人もいることもあって最初はボランティアとしての取り組みであった。コロナ禍の影響を受けて立ち上げたばかりなので、まだまだ経験が浅いので色々とやれることはどんどんやっても構わないということで相談しながらも児童生徒が学びやすいオンライン授業とは何かを模索してきた。

同時に私自身も今まで身に付けてきた指導法ややりたいことを実践できる機会のある場所と前向きに捉えて、失礼の内容に丁寧に配慮しつつしっかり子どものニーズを保護者から受けた上で適切な教材をご用意して臨んでいる。学校現場とはまた違う専門外ではあるが、教えるということの機会は必要であり、実践できることに恵まれたと感じながらも勉強の身で常に改善の繰り返しである。

●大学生としてコロナ禍の現状で授業を受ける立場から

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 2020年5月より、2年ぶりに大学生としてまた通信教育を始めた。ろう学校勤務のときも2か所の通信教育を並行して進めてきた経緯はあるが、今回は何にもないので落ち着いた中での大学履修となった。目標は6つ目の教員免許であり、高校卒業の時に目指していた地理歴史科の教員免許である。当時、北海道では履修できる大学がなかった。2020年度より履修できる大学が近くにあることを知り、履修することを決めて今年で2年目に入る。計画通りに履修できれば、夏ごろには必要条件の単位数を修得する見込みである。

せっかく学べる大学があったもの、コロナ禍により対面授業ではなくzoomを使ったオンラインでの授業となったが、最初の頃は当然ながら聴覚障がい学生を受け入れることが初めてであり情報保障の相談から色々とバタバタな始まりだった。受講する大学は通信制のため、他大学よりは制限ある理由なのか。合理的配慮といったところの課題を深く検討することもない姿勢だった。私が色々と蓄積した情報など説得方法を模索した結果、ついに合理的配慮の必要性を検討するようになり、音声認識についての改善を協力してくれた。(画像は、当時の講義受講スタイルでありこれが限度できる形であったが十分満足とは言えず。)

 UDトークは幸い、自分のもっているiPadをPC近くに設置し、音声を読み取る形で受けているが実はこれが明瞭な音声認識とは言えずタイムラグが起こるわけである。そこで大学の方で実際に講師の声が直接音声認識された画面が見ること出来るよう、Microsoftによる音声認識機能の画面をサブモニターに表示している形で準備しなければならなかった。そのため、私から見ると3つの画面を色々と目配りながら聞いているような姿勢で集中を長時間にわたって受けなければならなかった。

私が希望しているのは一つの画面で、スライド画面と講師の話している内容が音声認識で表示されるということである。zoomではそれが可能としている機能があるし良い活用方法があるが、大学側によるとこれが他学生と共有する画面になるために字幕表示が邪魔になったり画面比の設定が小さくて見にくくなってしまうなど、十分な提供が講師によって望んでいないということの話を見受けた。非常に言い返せない言い分であり、授業を受ける環境整備というものは非常に難しいところもあるんだということを痛感した。また講師の方が直接つなぐわけではなく事務局が間に立ってつなげているわけなので、多少のタイムラグそして機材による電波不良も起こっては対処が難しくなるというデメリットもあり、結局は情報保障の準備は自己負担となったわけである。

 私における大学の受講はこのようなことを経験したが、では大学に通っている学生による情報保障支援はどうなっているだろうか。という別の視点で見ることも非常に考えられることはあった。聴覚障がい学生がこのオンライン授業を受けるにあたって大きなポイントがある。

①マイクを通した音声での内容をどのように理解するか。
②授業進度がきこえる人と同じ状況で受けていること出来ているか。
③聞き洩らしや大事なことを視覚で得られること出来ているか。(情報量の格差)

といった3点である。これは大学だけではなく小中学校、高等学校のオンライン授業でも同じことである。ろう学校でもオンライン授業をする取り組みがあったと聞いている。(公立学校では、教育委員会主導でGooglechromeを通した授業支援システムや、また独自でYouTube動画を作って限定公開で配信するなど出来る範囲は多様にある。)しかしながら、このオンライン授業を受けるということは良いことばかりではない。面授業では気付かないデメリットが大きいと指摘する。このデメリットをいかに上手く改善して、かつ公平に理解できた授業を提供できるかというのが教師(学校側)に問われる専門性である。

 聞こえない子どもには、前述の3点をどのようにするべきなのか。

①は、文字(字幕)を多様に示すこと。また手話言語でしっかり話すことが重要である。手話言語が出来ない教職員にとっては、これを機にしっかり研修など学ぶことで一つのスキルとして磨く機会になればいい。
②手話言語、文字だけでは伝わりにくい抽象的概念や伝えたいことのポイントを反復で繰り返し身に付けるためにサブとして、プリントやミニテストといった学習評価の方法を同時並行で補助することが必要である。教師が伝えていることが理解できているかどうかの客観的評価を視覚化する必要がある。
③は、音が聞こえないために画面に映っていることが情報になるので、画面に集中してしまう。目が疲れてしまうため、短時間にまとめるような配慮が必要になる。(聞き洩らさないようにと逸らすことできない精神的な面を柔らかくすることが求められる)

 ということだと私は考える。対面授業が出来たとしても結局はいつ休校になってもおかしくない社会的な状況も不安であるが、これを機に自宅学習における児童生徒がしっかり学ぶことが出来るための環境整備を考えることが、一つの教職員として耳がきこえない児童生徒に寄り添うことの姿勢をもう一度見直すこと出来るきっかけになればと願っている。つまり、当たり前のように授業を組み立てるのではなく、受ける側の気持ちになっていかに分かるようにするためにはどうすればいいのかという視点が最も重要なことではないだろうか。

先日の投稿「GIGAスクール構想に思うこと」と合わせて自分が理想とするオンライン授業とタブレット活用については、きこえない児童生徒がきこえる人と同じ立場に立って活躍できるように成長できることの大きな学びを作ってあげられる有効な手段と自負している。しかしながらこの有効な手段を発揮できるためには、理解してくれる職場の協力かつ共感してくれる仲間がいないと実現できないため、現場をみない管理職及び教育委員会の不適切な姿勢では、私の話していることももはや遠い夢であるだろう。