マガジンのカバー画像

全18回/双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方

22
双極性障害を発症した大学4年から、うつ・躁うつ等の方々を支援する職について7年目までの14年間を記した自分史。
運営しているクリエイター

2018年2月の記事一覧

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第10回(28歳:福祉サービス、社会復帰トレーニングでの3つの気付き)

〜28歳(2011年3月)〜 通院途中に体験した大きな揺れ、東日本大震災。震源が東北方面という情報が入り、C社の本社や拠点が東北にあったので (あの人は大丈夫かなぁ。。) と、身近な存在が頭に浮かび、とても他人事ではない心境でした。 とはいえ休職の身。 家でテレビを見て過ごすのが日課になっていたため、ACジャパンのCM、震災のニュース、緊急地震速報の音が繰り返される日々で、ただでさえうつ状態なのに、更に気分が滅入っていきました。 そんな中、一緒に新規事業立ち上げをや

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第11回(28歳:支援を受ける側から支援する側へ)

〜28歳(2011年6月)〜 オムソーリサービスを使い始めるのと並行して、個人的に広報で独立して仕事をする可能性を探っていました。 サービスを使い、病気の対処を身につけた先にあるのは社会復帰。働くこと。 とは言え、私自身が28歳で3回退職をしているので、会社で勤める選択肢は自分の中で無くしていました。 (私の社会人経験の中で、独立してやっていくに値するものはあるか?) その問いの答えが、広報でした。 C社で広報部門を立ち上げ、そこで一番実績だと思えるのは、1年で日経

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第12回(29歳:失った自信を取り戻す日々)

〜29歳(2012年2月)〜 利用者からスタッフに。それは大きな転換でした。 高田馬場センターの入居するビル サービスに対してお金を払う側だったので、お金をもらう側になることで、社会に自分の何かを提供できている、働けるありがたみをまずは実感しました。 分かりやすい形で実感したのは、会社のプレスリリースに広報担当として名前を明記できたこと。 研修のときは名前を出さずに広報をしてきたので、2012年2月1日のリリース「Facebook公式ページ運営開始のお知らせ」は自分に

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第13回(30歳:双極性障害でもチャレンジをしていきたい)

〜30歳(2013年4月)〜(自ら、働き続けるのに問題ない、平常の幅を広げていきたい。今はまだ軽躁になってしまうラインも、訓練すればコントロールできる範囲に収められるにのではないか。) この想いで、産業カウンセラー平日夜間コースの受講を4月からスタートしました。 平日夜間コースは、職場から30分の場所で行われ、開始時間は18時半。 会社定時は18時でしたが、仕事に直結する資格だったことと、土日コース選択をして休日が減ることでの負荷の大きさを会社に納得してもらい、定時前に