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大学院での研究計画書作成で、迷走の末に見つけた、私が本当に明らかにしたい問い

2024.8.5 ②後編
奨学金申請の締切に追われ、死に物狂いの奮闘の末に絶望し、結局マッサージを受けながら、奨学金申請を諦めて、研究計画書の検討と旅を「感じる亅ことに集中することに決めた。

もう一つたった1時間のマッサージの中で考えたことは、
これまで書いていたテーマはどうにも曖昧で、自分の都合いい表面的な言葉を並べたものに過ぎないこと。そんな言葉で埋め尽くしたおかげでモヤがかかってしまって、自分がその先に何をしたいのか皆目検討がつかなかった。

「サステナブルデベロップメント亅に関心がある、それについて知りたい、学びたい、なにか開発関係に携われることがあれば嬉しい。んでもって私が頑張れるのは心地の良い「コミュニティ亅の存在が大きいと思うからそれも含めた。そんな程度だった。

でも「サステナブル亅ってどういう意味で?というのはずっと自分の中で問いをかけながらも答えられていなかった。
だけどずっと避けていた言葉に気づいた。「環境的なサステナビリティ亅について。エコビレッジ何かを巡り、パーマカルチャーに関心をもって学びながらも、正直なところ環境課題の解決については、十分な関心を持って取り組めないと諦めていた部分だった。

パーマカルチャーの原則はなるべくゴミを出さないこと。衛生的で便利な使い捨て商品などもってのほか。でも私はそんな便利グッズが大好き。
エコビレッジでの暮らしも一定期間はいいけど、きれいで涼しくて蚊もいないラグジュアリーなリゾートも大好き。体に悪い食べ物だって平気で食べるジャンクフード大好きマン。

持続性に興味があるとあれこれ手を広げているのに、そんな気持ちをもっていることが恥ずかしく、エコビレッジなどでは「そんなものいらないですよ亅という雰囲気を精一杯に醸し出す。いつかエコファームを持ちたいなんて気持ちは正直ない。一定の便利で優雅な暮らしは捨てられない。

しまい込んでいる本音と自分の行動に矛盾が生じて、自分自身が混乱している。そんな自分の今の状況にやっときちんと気がついた。
本当に自分が解決したい問い、それが研究の問いになる。

私は、こんな気持ちをもっている人たちが、どうすれば本当に心から望んで自分の生活スタイルを変えていくことができるのか、それが知りたい。
小さい頃からそういうものだと教え込まれてきた人だけ?
自然を愛して、丁寧な暮らしを心から切望できる人だけ?
後天的に、なにかの要因によって、私みたいな人が、より多く、環境的配慮から暮らしを変えることができるようになるには、どんな要素があればいいのか?

自分を環境的配慮のある丁寧な暮らしをできる人間にしたい。それがわかればきっと多くの人達の暮らしを変える仕組みづくりができるはず。それをオーガナイズする働きをしたい。
これが私の問いであり取り組みたいこと。だと今は心から思う。

本当に明らかにしたいものが見えて、ほっとした。私はやっぱり大学院で学びたいんだとまた思えた。まだ本当に論文や研究がみつかるのか、南アフリカに繋げられるのか、申請に間に合わせられるのか、何もわからないけど、ワクワクしている。今日はここまで。寝る。

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