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物語の本籍地(文学部の逆襲/波頭亮)

文学部は就職に弱いと知っていながら、私は文学部に入った。日本では学部以上に大学名が大事だと信じて疑わず、興味のある文学を学び、大卒の肩書きが得られるならそれでいいと思っていたからだ。
結果、望んでいた企業に就職し、これといって負い目を感じることもなく社会人を10年やっている。
だがしかし、文系の職業は危ない。
今ある文系の職業のうち、半数は20年以内になくなるといわれている。AI
関係の本はたいてい、君たちの未来は危ないと警鐘を鳴らしている。

そんな中、「これからは文学部こそ必要!」と真逆の理論をぶちかますのが、エコノミストである著者(東大経済学部卒)によるこの作品。
著者の結論には「ちょっと楽観的すぎでは?」と思わずにはいられなかったものの、コロナ禍で不要不急と呼ばれるものこそ人間らしさや幸福を担っていると実感していた私には響く言葉だった。

資本主義・民主主義の機能不全

資本主義は近年わたしたちを豊かにしていない。繁栄するのは大企業と富裕層ばかりで、わたしたちの所得は減り続け税金が増えていく一方である。1970年代の法人税率は40%、所得税の最高税率は75%(!)であったのに対して、今は法人税率30.62%、所得税の最高税率は45%まで下げられ、その減収分を消費税が補っている状況だ。
小泉政権と安倍政権の時に派遣社員に関する規制が緩和され、1997年に1152万人だった非正規社員は、2020年には2090万人まで増えた。

民主主義は近年わたしたちが望む政治を実現できなくなっている。増税が続き、社会保障が削られて、格差と貧困が広がっていくばかりの世の中を望んで一票を投じている者などいない。
こうした流れはもう20年以上続いている。
産業革命以降200年以上にわたって人々を豊かにしてきた資本主義と民主主義が、ともに本来の機能を失っている。

AIによる歴史

2000年に600人ものトレーダーが行っていたゴールドマンサックスでの株式・債権のトレーディング業務を、AIの導入により2017年にはたった2人が担当している。
産業革命時、人々は「体力仕事から知的労働へ」シフトしたが、これからAIが代替していくのは知的業務であり、人がやるべき新しい仕事は容易には見つけられない。現在足りないとされているAI/IT人材の仕事、例えばAIの学習教材を選別する業務でさえも、あと10〜20年もすればAI自身が行うようになる。

文学部の逆襲

人間は農業を発明したことによって定住生活を始め、穀物=富の蓄積が可能になって社会の階層化が起こった。また内燃機関の発明から始まった産業革命によって人類は莫大な生産力を獲得し、人口の急激な増加が起き、最低生活費水準の生活を脱して余暇を楽しむ余裕を得た。資本主義や民主主義も産業革命によって惹起されたものである。このようにテクノロジーは私たちの生活のあり様と生活様式、及び社会の仕組みを規定する。
実は私たちの生活や社会の仕組みを規定しているものが、もう一つある。
「物語」である。

子どもは童話や絵本といった物語を通して社会のルールや価値観を身につける。幼稚園や学校へ行くようになると、身の回りで起きた出来事を物語化して解釈したり、先生が諭してくれたりすることで人間関係や社会のメカニズムを学んでいく。物語は人間が世界と自身を認知する方法論なのである。
また、集団は物語の共有がなされることで組織化され、物語(フィクション)は社会を動かす力をもつ。物語には普遍的な定型のパターンがあり、多くの人が共感する。

これからAIが発達していけば飛躍的に生産性が高まり、人間は労働しなくとも生きていくのに必要な財やサービスを得られるようになる。現代社会では、所有する財の金銭的価値が豊かさであり、金を稼ぐ力やスキルが幸せな人生を営むための資質であった。しかしAIの活用とそれに伴って必然的に求められる再分配の仕組みが社会運営の方法論として実現した歴史ステージでは、保有する富の量や金を稼ぐ能力の価値は下落し、夢中で遊び、楽しく交流し、真善美を追求し、より人間らしく生きることで人生の幸福度は増す。

哲学、文学や歴史学といった人文はまさに”人間らしさ”に関わる領域であり、大きな物語の本籍地は、文学部である。

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