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自己愛(千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話/済東鉄腸)

タイトルのままの偉業を成し遂げた、30歳の著者の話。
以下の理由により、ちょっと私には受け入れられなかった。

・「その時の俺は~だったんだよ。わかるだろ?」みたいな語り口調が鼻につく
・引きこもりといいつつ、大学に通ったりバイトしたりは普通にできるライト層であったこと
・縁もゆかりもないルーマニア語に興味をもった理由が、「人と違うことしてる俺カッケェ」という中2的発想だったこと
(そして著者自身もそれを認め、中2で何が悪いと開き直っている)

・人口2千万弱のルーマニアでは、小説を出したところで食べていけないので、専業小説家が存在しない。著者は言う。「芸術が金と結託するとクソッタレになる。だからむしろ、執筆がお金に繋がらないルーマニアは魅力だ」と。
→著者は原稿料をもらってないのだろうか?芸術を廃らせないために、我々はお金に繋がる方法を模索していくべきではないのか?

・30歳にしては「お前も堂々と自分を愛せしてみせろよ。」という最後のメッセージがあまりに直截的で押しつけがましい(口調のせいもある)

私はバックパッカー時代に東南アジアで出会ったアホな日本人のせいで、「人と違うことしてる俺カッケェ」層を過剰に嫌っているので、そういったアレルギーがなければ面白く読めると思う。

人口2千万弱、日本人の翻訳者がたった2人しかいないルーマニア語は、勉強しようにも教材が乏しい。
著者は数少ない教材のほか、Netflixで字幕をルーマニア語に切り替えて観たり、Facebookで5000人のルーマニア人にランダムに友達申請を送ったり、オンラインでルーマニア人の作家にコンタクトを取り、来日のタイミングで会って一緒に六本木で蕎麦を食べたりと(どこが引きこもりやねん、というセルフツッコミはちゃんと入る)、かなりの努力をしている。

おまけに彼は腸の難病を患い、現在も厳しい食事制限を強いられながら闘病している。病気のせいで、ルーマニアに移住する夢は叶いそうもない。それでも熱く前向きに生きている。すごいことだと思う。

それでも「俺」「俺」「俺」という止まらぬ自己愛と、「自己愛がすごい自分を客観視したうえで肯定している俺」というループが読んでいてしんどくなってしまうのだ。好みの問題なのだろうか。

語り口調ではなく、フラットな文体で綴られた同作が読みたかった。

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