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断言と反復と感染(群集心理/ギュスターヴ・ル・ボン)

19世紀末、フランスの社会心理学者ルボンが、「群衆心理」の特徴とその功罪を分析し、付和雷同など未熟な精神に伴う群集の非合理的な行動に警告を発した作品。
フランス革命やナポレオンの出現など具体的な史実がいろいろ出てくるのだが、日本史しか勉強していない私にはピンとこないトピックが多く、また、文章も硬いので歯ごたえのある1冊だった。
「もっと端的に話さんかい」と思いながらも、書かれている内容自体は、100年以上経った現代にも通じるものばかりだと思う。

心理的群衆の示す最もきわだった事実は、次のようなことである。
すなわち、それを構成する個人の如何を問わず、その生活様式、職業、性格あるいは知力の類似や相違を問わず、単にその個人が群衆になり変わったという事実だけで、その個人に一種の集団精神が与えられるようになる。この精神のために、その個人の感じ方、考え方、行動の仕方が、各自孤立しているときの感じ方、考え方、行動の仕方とは全く異なってくるのである。

この新たな特性は何によって生じるのか?

①群衆中の個人は、単に大勢のなかにいるという事実だけで、一種不可抗的な力を感ずるようになる。単独のときならば抑えられた本能に、群衆に従って責任が消失することで負けてしまう

②群衆においては、どんな感情も行為も感染しやすい

③群集は多くの場合、何かを期待して注意の集中状態であるために、暗示にかかりやすい。暗示があらゆる個人にとって同一のものであるだけに、たがいに作用し合って、ますます強烈になる。

以上3つの原因によって、群集の感情は速やかに一定の方向へ転換する。
暗示にかかった人は固定観念が行為に変化しがちだ。人数が増えるほど強まる「罰をまぬかれる」という確信が、単独ではありえない感情や行為を可能にさせる。

群集はたえず無意識の境地をさまよい、あらゆる暗示に従い、理性の力に頼ることのできない人々に特有な激しい感情に活気づけられ、批判精神を欠いているから、何のことはない、物事を極度に信じやすい性質を示すのである。群集にとっては、およそ真実らしくないと考えられるものなどは、存在しないのである。世にも荒唐無稽な伝説や説話が、どんなに容易に生み出されて普及されるかを理解するには、このことをよく記憶せねばならない。

群集における誇張癖は、悪質の感情にも及ぶため、過激行為にも走りやすい。宮殿に放火するにしろ献身的な事業を遂行するにしろ、群集は無造作に打ち込む。

歴史を振り返ると、諸民族は常に幻想の影響を受けてきた。幻想の創始者たちのためにこそ、多くの寺院や彫像や祭壇が築かれたのである。

これまで群集が、真実を渇望したことはなかった。群集は、自分らの気に入らぬ明白な事実の前では、身をかわして、むしろ誤謬でも魅力があるならば、それを神のように崇めようとする。群集に幻想を与える術を心得ている者は、容易に群集の支配者となり、群集の幻想を打破しようと試みる者は、常に群集の生贄となる。

それでは、群集の精神に思想や信念を沁み込ませた指導者たちは、どんな手段をとっていたのか?
断言と反復と感染である。これらの作用は緩慢だが、効果には永続性がある。労働者たちのいだく考えは、酒場で、断言、反復、感染の結果、形づくられるのである。

この本が書かれたのは100年以上前にも関わらず、酒場で思想がつくられるという箇所が変わってなさすぎて笑ってしまった。
東日本大震災や、コロナが流行り出した初期の、根も葉もないデマを信じて買占めに走った人々を思い出す。SNSのコミュニティーは、時に酒場のような役割を果たすのだと思う。一方で、あっという間に拡散され、次の思想に取って代わられる現代の「群集」はもっとインスタントな存在になっているような気がした。

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