あとちゃんと - 8
2012年の12月9日は前の晩から大変な日だった。
当時もうすぐ2歳になろうというるるが、2度目のお産をした。
いつ生まれてもいいように、産箱はわたしの布団の隣に設えてあった。前の晩のるるの様子で、今晩だなというのはわかっていた。深夜を回ってうとうとし始めた御前2時過ぎ、陣痛の末、1ぴきの仔猫がするりと出てきた。呼吸をして元気に鳴いている。ほっとする。
次、もう1ぴき出てくるはず。
でもその子は出てこなかった。いきんでも、いきんでも、何度いきんでも、出てこない。るるがぐったりし始めた。
深夜かかりつけの動物病院に留守電を残し朝いちばんで連れていく。緊急帝王切開。まずは仔猫を取り出すことで母体を救うこと。次に取り出した仔猫が、生きているか。
当時我が家にはるるの夫と最初の子の3ひきの猫がいた。新しい仔が生まれたら5ひきになってしまう。妊娠が分かった時は、多すぎるので里子を考えなくては、と思っていた。
手術中は何よりるるの命が助かることを祈っていた。お腹に残っていた子のことはほぼ諦めていた。
病院の待合室、しばらくするとゴーという大きな音が聞こえ始めた。なんだろうと思っていると、中へと呼ばれた。それは仮死状態で取り出した仔猫を温めるドライヤーの音だった。先生がドライヤーを当てながら、仔猫の全身をマッサージして蘇生を促す。手伝ってくださいと言われ、ねずみのように小さいその子の身体に指の腹をのせてさする。思わず声が出る。
「頑張って、帰って来て。うちの子になるんだよ。」
あとがうちの子になることになった瞬間だった。
そうしているうちに紫色だった身体に赤味がさし、仔猫は呼吸を始め鳴き始めた。
先に出てきた子が女の子でさきちゃん。
後から出てきた子が男の子であとちゃん。
その日から我が家は5ひきのねこの家族になった。
この春、あとが10歳にして腎臓病のステージ4と告げられた時、今年の誕生日は迎えられるだろうか?という不安が心をよぎった。
今、あとは体重も戻してふっくらして毎日を過ごしている。
腎臓は回復する臓器ではないので、いつどうなるかはわからないけれど、毎日の生活は特に病んだ点はない。だから私はあとがステージ4だということを、ほぼ忘れて、いや、本当は忘れてなどいないけれど、この生活がずっと続くんじゃないかと思いながら、いや、期待しながら、生きている。
るるちゃん、よく頑張ったね。ありがとう。
さきちゃん、あとちゃん、11歳の誕生日おめでとう。
みんな、ずっと一緒にいようね。
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