アマゾンで出会った身体・森をまとう人々 映画「カナルタ 螺旋状の夢」at clubhouse 20211229
※このnoteは2021年12月29日(水)22:00からのclubhouseでの発表用メモに加筆修正したものです。clubehouseリンクも貼っておきますので、ご興味を持たれましたらご参加頂ければ嬉しいです。
■作品動画、インタビューなど関連リンク
はじめに作品のトレイラーを貼っておきます。
シュアール族から学ぶ、今を生きる力(TBSラジオ公式)
作家尹雄大さんによる監督太田光海さんへの公開インタビュー
視聴期限 2022年1月23日(月)23:59まで
申し込み期限 2022年1月21日(金)13:00まで 1500円
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfc9NYEZ3WEDT_WHrr4nS0XAX46lJhYLmUG_6b39ZrbGdzD8g/viewform
■作品概要
この映画は、エクアドル南部アマゾン熱帯雨林に住むシュアール族のドキュメンタリー映画です。彼らはかつて首狩り族として怖れられ、スペインによる植民地支配でも武力征服されたことがない民族だったそうです。
その彼らの現在の姿を、英国マンチェスター大学修士課程で映像人類学を学ぶ太田光海監督が、1人彼らの中に入り、一緒に住み・暮らし、1年をかけて撮影したものです。
ナレーションも解説も入りません。明確なストーリーもメインに据えられたイベントもありません。ドキュメンタリーにありがちな、社会課題・情報を伝えるものではありません。浮かび上がってくるのは、シュアール族の世界における人間の姿、捉え方です。
では何が映っているかというと、彼らの生活の映像です。
彼らは森で自給自足の生活を送り、椰子の葉を刈り取り皆で力を合わせて家を建てます。みんなで口噛み酒をまわし飲みをして英気を回復します。森の植物を観察し、日常づかいの薬草を発見し、時には覚醒植物がもたらす「ヴィジョン」を見る。そうやって世界を捉えています。
一方、彼らのいでたちはTシャツやタンクトップにゴムの長靴という現代のものだし、口噛み酒を作っていた女性は、実はこの村の村長で都会のビルの一室で政府と水道工事の交渉を行ってもいます。
これが彼らの世界です。彼らの世界は、現実的です。現実的でありながら、その現実世界の中には覚醒植物がもたらすヴィジョンも鬱蒼としたアマゾンの森もあります。
■印象的だった2つのシーン
映画はセバスティアンという男性を軸に進みます。印象的だった2つのシーンがあります。
セバスティアンが新しい薬草を発見した時の事です。薬効を確かめるためにその葉をちぎるシーンがありました。その時、森がざわめきます。一陣の風がざぁっと音をたてて吹き抜けます。セバスティアンは森と向き合うように風が収まるのを待って、それからゆっくり葉を口にしました。
森とセバスティアンの関係が浮かび上がるシーンでした。
もう一つは、大木の根本を調べ歩くセバスティアン。かつて敵と戦った先祖はこういう大きな樹の下に身を隠したはずだ。その時の何かが残っているかもしれない。だから時々調査をするんだ、と言います。先祖の時間とセバスティアンの時間が場所を介して重なっている。セバスティアンにとって時間軸は過ぎ去っていくものではなくて、地層のように重なっているそういう実感の中に生きているのだと伝わってきます。そして、根の大きな襞の間に立って前を見るセバスティアン。その姿は森をまとっているようでした。彼らの輪郭は、人間の身体を端にするのではなくて、森まで広がっているんだと了解したシーンでした。
■森をまとう人々
セバスティアンたちシュアール族にとって、人間とは、森をまとって、その身体の中に過去の堆積した時間を内包し、ゴム長靴をはき、幻覚の中でヴィジョンを見る。そういうもののようです。彼らはその捉え方で他の人や世界とつながっています。
多くの日本人とは違うのではないでしょうか。しかし、セバスティアン達の世界の捉え方、つながり方は生きる知恵の結晶です。
今私は言葉を使って映画の内容を伝えています。情報です。情報は理解されてあっと言う間に消費されます。けれど、この映画は情報として消費されるようなものではありません。ナレーションも解説も一切含まない映像は、これを情報として差し出すのではなく、彼らの世界の片鱗を体験させてくれるものでした。
セバスティアンが森をまとう様に、この映画を体験することで私も新しい何かをまといました。
私はこの映画を渋谷のイメージフォーラムで観ました。帰り道の宮益坂には欅並木があります。沢山の人がその下を行き来していますが、誰も特段注意をはらってはいません。でもこの映画を観たあとでは、欅はただの並木ではなくて、つながる先の存在になっていました。欅たちは気付いてくれたの?と嬉しそうに語りかけて来、我が家の小さな庭の草木たちは早く帰ってきてとなつくように私を呼びました。
この映画を体験いただき、それによるものをあなたの中にまとったら、それはきっと何か生きる力になるはずです。
■今後の上映情報
2022年1月2日~ 前橋シネマハウス(群馬)2022年2月4日~ フォーラム福島(福島)
2022年2月26日~ 桜坂劇場(沖縄)
2022年2月25日 ゴトゴトシネマ(高知)(1日3回限り)
■発表後記
clubhouseの本編発表後のコメントタイムで出た話題を追記しました。(20220104)
アバターみたいと思った方もいらしたようで、この作品はマトリックスやインセプションなどSFと比較されることも多いそうです。多次元を想起させるからでしょうか。
なぜこの人達の映画を撮ろうと思ったのかな?という話題が出ましたが、後日インタビュー記事を見ると以下の記載がありました。3.11の震災、原発事故を経験して、「地球、自然との向き合い方を知るために、自給自足生活を送っている部族を研究したいという思いがありました。アマゾンを選んだのは、西洋によって最初に植民地化された土地の先住民を対象とすることで、人類史の深いところに到達できるような気がしたからです」
私は彼らが森をまとっていると感じましたが、これも含んで自分だ、と思うようなことはあるか?という話でいくつかの視点が出ました。
一つには旅行先に綺麗な場所ではなく、慣れ親しんだところが自分だと思う。違うところに身を置いて日常に戻った時に自分だと思うという経験のお話。
一方、通じることは往々にしてあり、言葉でないコミュニケーションはとれると思うけれど、自分とは思わない。他者は他者だと思う。というご指摘も。拡張するのは身体ではなく、意識では。思念、波長、クオリアが伝わる。メディア(媒体)は人によって身体だけでなく、音や色など様々かもしれないなど、興味深い話が展開しました。
ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
■clubhouse情報
2021年12月29日(水)22:00~22:30(予定)
前説5分+本編(このnote部分)5分+コメントタイム15分
身体からにじみ出るものでとるコミュニケーションが凄く大事、これからはより一層大事、と思っています。それは社会のセーフティーネットで、人間を強く元気にします。
そこで、ダンス作品や映画を通して、身体や空間から透けて見えるその人、その人が属する社会を感じる、そんなお話をしています。
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