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何もかもガチガチだった。
肩も首も目も、全部凝りに凝っていた。整体師いわく、尻も凝っているらしい。そのことを聞いて愕然とした。尻は小さい頃から私の体にある柔らかいものだと思っていたのに、いつの間にか硬いものに成り果てていた。
尻を母にいたずらに叩かれ、きゃらきゃらと笑っていた純真な自分を思い出す。あの頃に戻りたい気もしたが、そんなことは思うのも憚られた。誰も私の心なんて覗いちゃいないのに、思うことすらだめだった。それは自分が「大人」の部類のくせして責任とかなんとか、その手の大人特有のものと向き合いたくないと宣言しているようで、自分が弱く感じられた。
首コリからの頭痛で、月に何度も頭痛薬を飲んでいた。

これでは良くないと思う。
きれいな女性をインスタでみたり、ヨガのユーチューブをみたり、少年誌のグラビア巻頭をみたり。そのすべてがやわらかだった。表皮のすぐ下部の脂肪の有無ではない。その奥の柔らかさが、まるでそのひとがらの柔らかさを体現したようで、やわらかそうな腹に顔を埋めたくなった。性欲は女性に対してわかないし、筋肉むきむきの男性をみるほうが、自分のなかの生物的なところがグチャリと震えた。でもその肉の柔らかさは触れたかったし、羨ましかった。わたしの柔らかさは脂肪の柔らかさであって、思考の柔らかさは他の他の女性に劣っている気がした。悲しいことに。

君は真面目だね、と惚れた男に言われたことがある。すごく嬉しくて、すごく悲しかった。
その人が褒めているニュアンスで伝えてくれているのはわかった。だから嬉しかった。でも「真面目」という言葉の裏に隠れて馬鹿にされ続けた学生時代を送った私はその単語に条件反射的に眉をひそめるよう訓練されてしまっていたし、私はその男性の自由奔放さを好ましく思っていた。その自由さは飛び交う彼のゴシップにも現れていて、私は彼の好きな部分を否定したくなった。だって彼の唯一の恋人になりたかったから。

最近は頑張って体質改善に取り組み始めた。
比較的仕事が落ち着いている今の部署のうちに、習慣として体調を整えることを身に着けたかった。

先日漢方の先生に体調を診てもらう機会があったが、曰く面倒くさい状態らしい。巡りが悪く、巡るもの自体も少なく、かつ綺麗な部分から流れ出てしまっていると。
その話を聞いて、川が浮かんだ。細くチョロチョロと、窪みに溜まっては淀む川。それがわたしだった。

その映像が脳内を流れてゾッとした。ひどく自分が汚らしい内部を持っているように思えた。

今、私は食べ物を気にして、週に2回くらいセミパーソナルジムに通っている。あとはストレッチも頑張りたい。いざストレッチをすると「からだ柔らかいですね」とは言われるけれど、凝り固まった部分も多く、結果私の印象がかたいのだ。のびやかな、淀みのないからだになりたい。それが、今年の目標だ。

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