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作文、AI~けい先生の死生観
けい先生です。私が仕事の作文に難儀しているのを見かねて、若い先生から生成系AIの使用を勧められました。
分かる。
分かるんだよ。
AIを使えば作文が早く終わることは。
しかしな。AIに作文を書かせるには、重要な条件があるんだ。
それはな、
あらかじめ書くことが決まっている、ということなんだ・・・。
そうなのです。書くべき単語はあっても、それがどういう意味を持っているかを説明しなくては、プロンプトは書けないのです。
もう一つ重要な点は、書くことで、自分が書きたい内容がはじめて形を成してくる、そうした体験があるということです。むしろ、書いてみないことには何も分からないことがしばしばあります。これは、書くという体験につきまとう困難であり、楽しさでもあります。絵や音楽など、さまざまな創作も同じだろうと思われます。
1 AIは苦痛を感じるか?
作文の話から、ふと、「AIに苦痛はあるのか?」という疑問が湧いてきました。AIの進化は凄まじいものがあります。AIチャットボットは現時点でも十分に、人間を相手にしているような会話体験を提供してくれます。現実の人物にインタビューを重ねてAIチャットボットを作る会社も出ていますし、中国では故人を「蘇らせる」サービスも出て議論になっているようです。
私は、生成系AIの仕組みをよく知りませんが、おそらく今後もAIが「苦痛」を感じることはないだろうな、と思っています。
もちろん、苦痛を感じる仕草をすることはできるでしょう。膨大なデータの中から、傷つく言葉を掛けられたら、苦しい反応を返せばよい。しかし、AIには痛覚がないのです。
AIは暑さや寒さ、痛みを感じる皮膚を持ちません。暴飲暴食をしても、お腹を壊すこともありません。恋の切なさも、別離の苦しみも知りません。
そして、重要なのは苦痛を感じないということは、喜びもまた存在しないということです。ラーメン、おいしいでしょう?何で体に悪いものはあんなにおいしいんでしょうか。
苦痛も喜びも感じないのに、人間らしい仕草や受け答えをするというのは、非常に奇妙な存在のように思います。私は、それを愉しむことを否定しません。なぜなら、それは「人形遊び」という原初からの人間の愉悦に関わるものだと考えるからです。しかし、それは人ではあり得ないし、自分とかつて関わりのあった固有の誰かとは、明らかに異なるものです。
2 死別の痛みを味わい尽くす
私のいま、いちばんの苦しみは愛する家族と死に別れることです。いつかは終わりが来ます。私が先に死ぬか、家族が先に死ぬか。毎日のように、終わりの日を思い描いて、自分はどう振舞い得るのかを考えます。結婚をしてもこの苦しさはつきまといます。
何という理不尽でしょうか。どんな幸福も、死の前には無意味なのです。ただ、だからこの世は滅んでしまえ、などと飛躍した新興宗教的な思考は徹底して斥けています。
生は、苦痛もよろこびもともに含みます。それらを分けることはできません。終わりの日を迎えるまで生き抜いて、最後の瞬間までこの苦痛を味わい尽くして死のうと思っています。
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