ゲイあるあるな絶望感

今朝起きたら、途方もない虚しさに襲われた。この感じ最近では珍しいな、休み明けの単なる仕事行くの憂鬱モードとは違うぞと、心の不調の心当たりを探すと、すぐに見つかった。

昨日、甥っ子に会いに姉夫婦の家にお邪魔した。なんだかんだで予定が合わず、半年ぶりに会う甥っ子はつかまり立ちが精一杯だったのに、自由自在に歩き回れるようになっていたことに成長を感じつつ、丸1日彼らと過ごした。

驚いたのは、びっくりするほど甥っ子に懐かれたこと。普段は、大人の特に男性にはしばらくの間人見知りするらしく、彼が僕に打ち解ける早さは姉夫婦からしても驚異的だったそうだ。彼のここ最近のマイブームの遊びを次々と披露してもらい、こちらとしても好かれるのは大変気分が良いので少し得意げな気持ちでいた。

そんな風に過ごした帰り道、行きつけの銭湯に立ち寄った。日曜夜ということもあって、やたらと混んでいる。しかしその日は、やけに親子連ればかりに目がいってしまうのだ。このお父さんはいくつでこの子を授かったのだろう、とか。あの子は小学生くらいかな、うちの甥っ子の何年後の姿かな、とか。

昨日1日過ごしている間は、ただ楽しい時間だったのに、僕が今後手にすることができない家庭の空気感をたっぷり浴びてしまったことが、かなり心にダメージを与えたみたいだ。

今まで僕は、結婚もしたくないし、子供も欲しくないと思おうとしていた。少なくとも今は、ゲイである以上は叶わないし。だけど、甥っ子のことが可愛くて仕方がない。もちろんたまに会って、可愛いところだけを享受しているのは分かっている。自分以外の誰かの人生に責任を持つなんて無理、と自分の中で理由づけていたものが覆りそうになるほど、子どもを持つって良いな、結婚っていいなって思える時間だったのだ。

しかし、こんな気持ちはノンケには誰にも言えない。誰にもカミングアウトしてない以上、「いつか結婚したいって思える人が現れるよ、子供も作れば良いじゃん」みたいな呑気な返答が返ってくるだけだ。

最近、職場でも結婚、妊娠・出産ラッシュが続いていて、そんな話題だらけだ。結婚っていいよ、子どもっていいよ、そんな話題に心の中で自分には関係ないと中指を立てつつ、適当に合わせているけれど、今日だけはうまく話を合わせるのも厳しそうだった。なんとか会話に加わらなくていいように、必死で距離をとった。

人間、どれだけ夢見ようとも叶わないことがある。もしも女性に生まれたら、もしもアメリカ人だったら。叶わないもしもの話は、みんなが今世では叶わないという前提で話しているから良いけれど、周りの人からは「もしも結婚して子どもを持ったら」というのは、絵空事ではないのだ。誰もが可能性のあることだと思って、話を振られるから辛いのだ。

誰にも傷つけられたわけでもなく、自分で勝手に傷つくのは1人相撲だと分かっている。最近できたゲイのコミュニティにどっぷり浸かってそこから出なければ、傷つくことも減るだろう。だけど、僕はノンケの世界も、自分の家族も大事にしたい。自分が傷つくような関係からは離れた方がいいに決まってるけど、僕はまだ色々とあきらめたくないのだ。どうしたら、こんなことで勝手に傷つかないで済むのか、色々考えている。

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