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君たちは今日を後悔していないか?

かつて元彼が、河川の事故で友人を亡くし、受験の圧に耐えられなかった友人を失くした、という話をしてくれました。だからずっと死と向き合う機会が身近で、常にどうにか止めることができなかったのか、と葛藤している、と。

私の場合、祖父母を早くに亡くなったのを見届けたとはいえ、歳の近い人を失うという感覚はありませんでした。とはいえ、基本的に死ぬのは嫌という単純思考ながらも、創作で死に触れることが多いため、暗い影の部分は普段から多く考える方ではあるかもしれません。

が、先日友達と話していたとき、同じコースだった同級生が亡くなっていたという話が突然出てきたのです。
私自身同じクラスになったことがないとはいえ、友達は同じクラスになったことがあるし、別のコースの友達にも認識があるくらいには馴染みのある方だったようです。

肝臓癌、発見当時には末期だったそうです。
24歳、きっと”死ぬには早い”と答える人が多い年齢だと思います。


私は自分の身を以て、自分の生の責任を取っていることを証明しています。若い頃(今も若い頃やけど)、若干本心を犠牲にしてきたことはあっても、妥協は高校の勉強以外しませんでした。
大学あたりから選択が広がるにつれ、自分の本当の行きたい先を見て、迷って、病んで、衝突して、でも戻ってきて、今があります。
だから、友達でも新しいことに挑戦してみたい人の背中をすごく押すし、惰性を望む人を結構批判してしまったりもします。実際、どちらの選択が正解・不正解なんてものはありません。選択を正解にするのが、人間のやるしかないことです。
積立投資をするくらいには安定が大好きです。ただ、

それって、”自分”の人生やろ?死ぬときに”今”を後悔しない選択なの?

という話を、人生に迷う社不、こちらも何故か人生に迷う社会適合者に常々します。母にもします。


私も寝て起きて食ってスマホして寝るみたいな休日を過ごすこともありますが、後悔はほぼ0です。これも自分らしさで、合間にある空白の時間は何かしら人生のこみいったことをひたすら自問自答して、有意義だと感じられています。たまにもうちょい何かすればよかったなと思う瞬間もありますが、活動的になった瞬間、やりたいことに全力投球するし、点状になっている日々を重ねれば、なんだかんだ濃ゆい線が完成していると自負しています。見てくれ、この人まだ内定承諾してないんだ。なんでって、雇用形態で迷う奇人だからだよ。

逆に普段は仕事で休日遊んでいても、不思議なことにやりたいことがないというのも結構聞いたりします。もしかしたら日々やりたいことを消化できているのかもしれない。だけど、ご飯を食べたいでもなんでも結構で、人間である以上、無意識的・意識的問わず欲望はぽんぽん出てくるもんです。

別に一生ふて寝するのもありだし、王道な人生歩むもいいし、なんかいきなり僻地行くのもよし。

とにかく自分と純粋に向き合っているか、世間体や安定で足が竦んでいないか、改めて問いたい、というお話でした。

まあ、答えは結局自分で決めるしかねんだけどな!
たった1人の人間のお節介だけど、皆も己の気持ちに正直になれよ……!



ちなみに平和的に破天荒な私は、流れで副社長になってほしいと言われたので、そのうち経営管理するジュエリーデザイナー(本来グラフィックデザインの人)になっているかもしれません。


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