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“エンパス”から”エンパワー”へと変容していく道

「ほとんどの人は他人が自分に何を期待しているかに応じて、
自分が与えるものを無意識に調整します。
そのようにすることで、自分自身も他者も気詰まりな状態になるのを避けているのです。
一方、他人が必要としていて役に立つもの( 自分が欲しいと考えるものではなく)を意識的に与えるために、一般的な人間心理を理解するだけでなく、
かなりしっかりとした自己認識に到達していなければなりません。
与えることに関して、このレベルに到達しているのはわずかな人だけです。
他人が本当に必要としているものが何であるかをわかっていると思っている多くの人は、実際には自分の要求や恐れを他者の上に投影しているだけです。」

〜レイチェル ポラックの” タロットの書 “ ペンタクルの6からの引用〜

まさしくその通り。鋭い。

エンパス気質の人が、このわずかな人。
それは、自己超越のなせる技。
自分を消して相手になることができるから、、相手に即しての何かを差し出すことが可能になる。
もちろんそこには、それまでに蓄積された外からは見えない驚くほどの人間についての、経験に裏打ちされた知識や情報の全体像がある。

けれども、この与えるという行為、やはりエネルギーを失う、時に奪われる感覚になる。。。
そして、ひとりになってチャージ。
でもまた人に会うと同じことをしてるという始末。

「与える」だと、焦点が対象となっている相手なので、エネルギーを失うことになる。
「自らの力を感じる」に変えよう。
相手のためにするのではなく、自らの力を感じるためにする。
同じことをするにしても、違った意識の置き所。
これで、今までは力を失う感覚になっていたのが、力が漲るようになってゆく。

もう一点。
また、そこまでのことが出来るのに、自分の軸となると今度は自分に迷うのがエンパス。
ひとりでいる時には確固とした世界観、それもかなり豊かなものがあるけれど、
人と一緒にいる時は、相当なことでない限り自分を押し通す必要性を全く感じないから、まるで自分がないかのようになる。

ほとんどの人は、自分をわかってもらうために考えや思いや気持ちを言いたいようだけれど、
エンパスは、意見も考えも、ある状況の中でこそ有効だってことを知っている。
だから実のところ、未来を視点にしてその時々の意見や考えを選んでいる。
その思考” 回路” を話すといい。
それがエンパスの軸となってるものだから。

エンパスとは、empath
pathとは苦しみ。苦しみのなかに、en 自分を置く、傾向にある人。
人の苦しみに敏感で放っておけない。
でも、こんな風に変えていくことによって、
エンパスから、empower エンパワーへと変容していく。
不思議なことに、
エンパワーになると意識の置き場が自分の中心になるから、必要な時には簡単に断れるようにもなる。
そして、この断りは相手にとっても、あぁ、あの時 断ってもらって良かった、という結果を導くことになる。

戻って、引用の最後の二行。
「他人が本当に必要としているものが何であるかをわかっていると思っている多くの人は、実際には自分の” 要求 “や” 恐れ” を他者の上に投影しているだけです。」

本当にその通りで、でも本人は全くの逆で相手のためだと本気で ” 思ってる”。
“ 自分が思っていること “ に焦点がいっていて、相手が思っていることには気づけていないから。。。
答えは相手の反応のなかにあるのに。
ひどい場合は、その反応が起きなければ逆に腹を立てたり、傷ついたりする。
そんな時はエンパスにとってキツい。
なぜなら、凹んだ系の感情に、自然に、無意識に、同化するのがエンパスだから。
相手が間違っているのに、その相手の感情に同化してつい寄り添ってしまう。
結果、本当に傷つき、またエネルギーも失うのも自分という羽目に。
間違っているのも、傷つくのも自分という羽目に。

こんな時は、何がそもそもの “ 始まり “ だったのかに気づくこと。
人に対してエンパスになるのではなく、自分に対してエンパスのもつ力を発揮してあげる時。
エンパスな自分に、エンパワーとして接してあげよう。

みんな苦しいというけれど、エンパスの苦しさは比じゃない。
そもそも、苦しくてもエンパスは人に苦しいとは言わない。
言われた側の人のことを既に考えてるから。

だから、代わりにエンパワーになる道を選ぼう。

ペンタクル VI

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