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父と私の誤りを解く話

私の父は、とにかくうんちが嫌いだ。

(まぁ好きな人はいないかもしれないけど。いや、うんこドリルが流行るくらいだ。いるか。)

汚くて申し訳ない、これはうんちが嫌いな父と猫ちゃんの話である。



私は、一度目撃したことがある。
ある日、父が勢いよくトイレのドアをバンッ!と開けて中から飛び出してきた。

なにごと!?と驚いて遠目で見てると「くっさーーー!鼻がひん曲がった!」と言っていた。

いやいや、自分のしたうんちやん‥。


だから、まだ野良猫さんの外で暮らす大変さを理解していない時は、お庭でうんちをして行く野良猫さんに「何やねん‥」と父は迷惑していた。

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ある時、家の玄関の前に1日かけて綺麗な白い砂利を敷いたら、猫ちゃんのうんちはヒートアップした。

今考えると、猫ちゃんにとっては恰好のおトイレ。綺麗な白い砂利にうんちは映えた。まさにフォトジェニック。
父は「くっさーーーーー!」と鼻をくしゃくしゃにして嘆いていた。

母は『トイレをご飯のある場所と認識してもらえると、トイレしなくなるらしい。』とどこからか聞きつけて、白い綺麗な砂利の上に煮干しを数本置いて、野良猫さんに平和的和解を申し出た。

5日程煮干しを置いた頃だったか、毎日きちんと煮干しはなくなっていた。そしてうんちはピタリと止んだ。成功したようだった。その後煮干しを置かなくても特に何も起きなかった。偶然なのか、これが果たして正解なのかはわからない。

でもまぁ、またお庭の土の上にしてくれるのなら、砂利よりいい。埋めればいいよねと思った。

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せたじを連れて帰ったら、「捨ててこい!」と言った父。
「俺は知らんからな。」と言った父。(※下記のnoteをご参照ください)

でも、せたじはそんなこと知らない。

だから父の横で、勝手に眠ってみたりする。

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「なんや。こいつちょっとなれなれしぃんとちゃうか?」と、にやける父。


父の横で、せたじはボールにじゃれて遊んでみたり、リビングで母が広告紙でゴミ箱を折っていると、じーっと広告紙の行く末見つめて、開くと同時に入ったりもする。

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いちいち行動がかわいすぎた。


保護した時に軽い風邪をひいていたらしいせたじは、目薬や検便のために病院に連れて行くことになった。

なんだかんだ言いながら、父は車の免許を持たない私の代わりに、動物病院まで送り迎えをしてくれた。(今もしてくれている)

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保護して1週間後、私は耳を疑った。

父が仕事から帰宅しても、私と母は「おかえり〜」と言うだけで、出迎えたりはしない。

でもせたじは違った。何にでも興味のあるお年頃。
父が帰ってくると駆け寄って出迎えた。


父は「おぉ〜せたじ〜〜、お前だけや。お前だけやで、来てくれるんわ」と玄関で言い始めた。

そして「おい咲慧(私の名前)、こいつかわええなぁ〜〜。こいつかわえぇやつやな〜〜〜」と満面の笑みで、こっちを向きながらせたじの頭をぐりぐりと撫で回して体をさすっていた。


おいおい、1週間で懐柔されとるやんけ。。


その後、自分なりに猫ちゃんのことを調べたのか、感じたのか、うちにやってくる猫ちゃんの経緯を知っているからか、今はお庭に野良ちゃんが通ると「かわいそうにな〜‥」と呟く。

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かつて、私たちは知人から譲り受けたゴールデンレトリーバーの花ちゃんと暮らしていた。

本当にかわいくて、大切で、大好きな花ちゃん。
一緒に川に出かけたり、自転車で散歩に行ったり、公園で遊んだり。
私たちにたくさんの「優しい愛」をくれた花ちゃん。

だけど、お別れはくるもので、亡くなった時は本当に嘆き悲しんだ。咽び泣いた。

今もそれはずっと続いていて、あの時もっとこうしていれば、本当はこうした方がよかったのか、思い出すと後悔ばかりがこみ上げる。もっともっとできることがあったはずなのに。時々そんな話を家族でしては悲しくなって。

だから、新たな子を迎えるという気持ちになんてずっとなれずにいた。

もう、生涯花ちゃんだけ。誰も口に出さなかったけれど、たぶんみんなそう決めていた。

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父は、中学生の頃におかあさんを亡くしている。

この数年、少しずつ口にするようになったけれど、時々後悔をぽろっとこぼすことがある。たくさん恋しい思いをしている。

例えば、学生の頃は母の味が恋しくて見つけたくて、「おふくろの味」なんてネーミングの食堂があったら駆け込んで通いつくした、だとか。
どっかの誰かがおもしろがって「振り返る時に、目の端に一瞬だけ人がいるような気がする時があるけど、それは幽霊がなんだって」って聞いたから、お父さん、おかあさんを探してたくさん振り返った、だとか。

なんでもないことのように言っていたけれど、そんなエピソードを聞くと、私は切なくなって少し泣きたくなった。私がこんな年になるまで、誰にも言わずに心に秘めていたのかと思うと、やるせなくなった。


だから、あの時父は猫を突然連れて帰ってこられて、心の準備ができずに必要以上の拒絶反応を示してしまったのかもしれない。いつかくるお別れも、とても辛いことなのかもしれない。(それは私にとっても本当に辛いけれど)
そもそも、親子でいるのが幸せだと思っていたのかもしれない。

私は心配性で過保護だから、いろんな心配事を口にすると父は「猫には猫の世界があるんだから。自然のままがいいよ」そんなふうに今でもよく言う。

私も猫ちゃんたちには、できるだけ病院にかからずに、家の中で健康にご機嫌に暮らしてくれればそれが1番いいと思っている。

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せたじと出会って以降、これまで数年間で猫ちゃんは5ニャンズに増えて、その都度父は受け入れてくれた。

保護したてで隔離が必要になった時、市販のケージは小さすぎるし高いねって、スノコで大きなケージを作ってくれたり

猫エイズキャリアの子を受け入れる時、どうしても隔離が必要な期間が長くなった時は、ストレスをためないように室内にあるケージから出入り自由の大きなハウスをお庭に作ってくれたり、その後、今はサンルームになった場所に、お庭の木を切ってキャットタワーを作ってみたり
(母が猫ちゃんのためにこんなものを作った方がいい!という提案の元だけど)

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今では家の至る所に、父が作ったキャットタワーがある。

お互いにもっともっと、考えていることをたくさん口にだして、話しをして歩みよれば、たくさんの大好きを見つけられるんだって思った。
きっと拒絶するよりも少し視野を広げて受け止めることの方が、エネルギーを消費しなくて済む。

きちんと、私がせたじの経過を伝えて連れて帰れば、あんなこと言わすこともなかったかもしれない、と最近思う。

猫ごと私を愛してくれる両親の元に生まれて幸せだなぁと、今心底思う。

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父は抱っこが下手くそで、猫ちゃんに嫌がられるけれど全くめげない。

父は猫ちゃんがゲーと吐く前の「ガポッガポッ」という音を聞いて駆けつけて、新聞紙をしいてキャッチするのが特技になりつつある。(失敗すると処理をしてくれるようにもなった)


でも、やっぱり今日も、猫トイレで猫ちゃんがうんちをしたら「くっさーーーーーーーー!」と嘆いて、鼻をくしゃくしゃにして逃げている。


何やねん‥。そろそろ慣れてくれや。


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