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今日も私は猫に救われる

せたじと出会って、猫ちゃんがこんなにもおもしろくてかわいい存在なのかと驚いた。

せたじは柔らかくて暖かくて明るくて、1日をまっすぐに生きていた。

(※せたじとの出会いはこちらをご参照ください)


せたじと出会うまでは、本当に殺伐とした毎日を送っていた。

毎日仕事に行くことが辛くて、人目もはばからず道を歩きながら何度も泣いたりもした。もちろんそれだけじゃなかった。仕事をしていて、たくさんの人に支えられていることもわかっていた。自分が恵まれて幸せなんだってわかっていた。やりがいだって感じていた。
だけど、コップには容量があるように、心の容量がいっぱいで溢れてしまう時は涙が出た。

それでも苦しくて仕方なくても、自殺はしてはいけないことだとわかっていた。

それなのに仕事に行く道中に、体ギリギリのところを車が走り抜けた瞬間、「ここで車に轢かれたら行かなくてよかったのかな」と反射的に頭の中で考えてしまって、自分にゾッとしたことがある。

もしかしたら、世の中には反射的に亡くなってしまう人がいるのかもしれない。

もしかしたら、死んでしまう寸前だったのかもしれない。


それなのに、せたじと出会って一緒に暮らし始めてから、せたじが眠っている時、呼吸する度にふくらむお腹を見て、せたじが生きていることを実感するだけで涙がでた。

せたじが走るだけでかわいくて、一緒に猫じゃらしで遊ぶだけで当たり前のように笑えた。
せたじが視界に映るだけで、触れるだけで、愛しいと思った。

せたじと出会って、猫ちゃんという存在を知ることができて、より身近な存在になった。

ほんの少しの時間でも、猫ちゃんと一緒にいたい。生きたいと思った。

それから、なんだか辛い時も猫ちゃんのことを思い出せば頑張れた。
そこからは不思議と世界がどんどん鮮やかになった。

楽しいこと、嬉しいこと、今生きていることのありがたさをもっとちゃんと知ろうと思った。


夜の風は冷たくて気持ちがいいとか、花の匂いがするだとか
透き通る雲の隙間からこぼれる陽射しは胸を打つだとか
夕暮れの空の儚さとか、朝焼けの強さだとか

ああ、かつて私はこんな世界を見ていたんだった。世界は今も美しいって、思い出すことができた。

猫ちゃんたちに、はやく会いたいがために急ぐ帰路の星は、満天に煌めいていた。

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猫ちゃんたちと出会って、私は絶対この子達より先に死ねないと思った。

一寸先の未来もわからない。
でもこの先に何があるかわからないけれど、絶対その気持ちを忘れないで生きようと思う。


私は確かに、猫ちゃんたちに救われた。

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せたじはなんだか時々宇宙人にみえた。

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この頃、走行中の車の中でせたじが消失する事件が起こった。ほんの数秒目を離した隙に、せたじがどこにもいなくなってしまった。車屋さんに駆け込んで車のフロント部分を解体する事態にまで発展した。(せたじはフロントの中にある隙間でスヤスヤ寝ていた)

それ以来、猫ちゃんはキャリーに入れて車に乗せるようにしている。


猫ちゃんを迎えたことでかつて嬉しくなって集めたビンや食器。せたじが小さかったから、食器がとても大きく見える。
ビンは今、それぞれ手作りのボタンケースになったり、猫ちゃんの抜歯した歯を入れるケースになったりしている。

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猫ちゃんは寝相がかわいすぎる。

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猫ちゃんは眩しいと、目を腕で覆いながら眠る。

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せたじを保護した後、いろんな出会いがあって、うちで暮らす猫ちゃんはただいま5ニャンいます。その話もまたそれぞれ書こうと思っています。

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私はこれからも、猫ちゃんに救われ続ける。

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