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人の目呪縛から抜け出したい!の第1歩

「人の目」を気にせず生活できたらどんなにラクだろうか。
と思うことはありませんか。
私はこの「人の目」の随分長い間悩んできました。

そして何度も何度も悩み、結局動けないままの状態になることも数知れず。
今日は「人の目」を気にして動けなかった私の気持ちがラクになったお話です。

そもそも私たちはなぜ、そんなに「人の目」を気にしてしまうのでしょうか。

それは「かわいい」「かっこいい」「ステキ」「スタイルバツグン」など
ポジティブに思えるものや、「太ってる」「ブサイク」「センスが良くない」など、ネガティブなもの。

常に何かを表現する単語に囲まれて生活しているからなんです。
そして、集団生活が始まると「同じクラスの○○ちゃんは頭がいいね」
と身近な人に言われると、「やっぱり私はダメなんだ」と思ったり
テストの点数や友達の人数など、自分と周りと比較する状況はいつでもあります。

だから無意識のうちに、この時は嫌なことを言われたから止めておこう。
という情報が蓄積されていきます。

でも自分自身が傷つかないように。という点では自分を守ることになるので、人の目を気にして行動全てが止まっちゃうことが悪いことばかりではないので、この部分は補足で伝えておきます。

「人の目」を気にすると終わりがない

この「見た目」を気にし始めると、厄介なのは「終わり」がないことです。
常に何かと自分を比較する状況は隣にあるもんだから、目に入ってくる度に気になっちゃいます。

私が「見た目」を気にするようになったと強く認識する出来事は小学2年生までさかのぼります。

私が「人の目」が気になったきっかけ

1年生の時は休み時間は一人でいることが多く、2年生でやっと遊べる友達が1人できたんです。
その子と遊んでいるのをみた先生が、母との面談の時に「いつも同じ子と遊んでいるので、もっと他の子と遊ぶようにしましょう」と言われ、通信簿にも書かれていました。

そこから私は、友達は1人じゃなくてたくさんの方が良いなら、たくさんの人に話しかけなきゃ。という思いがしっかりはりついていきました。

でも、もともと人と話すことに苦手意識があるので、うまくいくわけないんですよね。
それに何を話して良いかわからず、ただそこにいるだけの、いてもいなくても同じ様な存在になっていきました。

学年が上がるにつれて、人と話すことを試みて、その時々の友達が増える時もあれば減るときも当然あります。

でも、減る時には「あー友達の少ない私には価値がない」という思いが強くなっていきました。

じゃあ、なんでここまで私は人数ばっかりに気をとられているんだろう。と振り返ってみました。

すると「友達が少ない=さみしい。だから関わる人が多いことは良いことだ。できないことができるようになると嬉しい」と自分を肯定的に見れる理由がでてきました。

「人の目」と自信は隣あわせ

この「自分を肯定的に見れる」というのは、自信に繋がることに気づきます
でも、この「関わる人が多いのが良い」というのは他者の考えであって、私の考えではない。ということ「関わる人」がどんな人なのかで基準が変わってきます。

人は誰しも「人からよく見られたい」という気持ちがあって、それがあるから力が出ることもあります。

だけど、それが行き過ぎるとしんどくなるし、終わりのないトンネルをただただ歩いているような気持ちになります。

見た目や「○○した方が良いよね」と感じた時、それは私の意見?周りの意見?と問いかけてみて、誰かの意見だったら「なんでそう思うの?」と深掘りしていくと、色んなことが思い出されます。

その中で、全て私はこうしたい!を実現するのが難しい時は、誰かの意見をMIXするのもアリです。

今までより少しでもあなたの中の「こうしたい」を優先して実行すると、人の目ばっかり気にしてる。という気持ちが小さくなっていくはずです。

今までとは違う選択をする時、大きく1歩でる時もあれば、小さく出る1歩もある。そんな風にバランスをとりながら進めていけるといいんじゃないかな。と思います。

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