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人をゆるす、ということ

『天使にラブソングを』
のなかで、
「お許しください」
といった言葉が繰り返されていて、
思い出した —


「人生で出会った、
   嫌な人
(できごと)をゆるしましょう」

ポジティブな自己啓発書だとか、
アメリカの著者が書いた
(きっとキリスト教的な
   あり方をベースにした)
本の中でそういうことが言われます。

あとちょっとした成功を
収めちゃった人とかが。


いや、
  そんなんできたら苦労してないわ。



ってとこでしょう。

「ゆるしましょう」

って言われてゆるせるんなら、
とっくにゆるせてます

だからそれ、
違うんです。

ちょっと、違う。


そういうポジティブの信者となって、
ゆるしたつもりになる方が
くるしい、痛々しい。

声ととが一致してない人。

それって、
感謝してもないのに
Facebookなんかで
『出会いに感謝!』
コピペしたメッセージを
送り付けられるようなものだし、

わだかまりがあるのに
自分の誕生日には
親への感謝の気持ちを
Instagramに綴ってしまう、
ようなもので、心苦しいです。


では「ゆるす」って、
ほんとうは どうすんのか — 。

ポイントは、
いきなり「相手」(出来事)を
ゆるすんじゃないってことです。


「あんなやつと出会ってしまった自分」

「そんなやつだと気付けなかった
 愚かな・未熟であった自分
 
(一生懸命だった自分)

「些細なこと、
   だけれど自分にとっては重要なことが、
   ゆるせない自分の感性、感じ方」

「憎いと思ってしまう自分、
   イライラしてる自分」

を 、 「 ゆ る す 」 ん で す 。



「相手」じゃない。

「自分」

それを英語じゃ
“ アイ ” って言ったり
するらしいぜ ベイベ !


そうやって、
まず「自分」をゆるす。

自分の感性、性質、感じ方、
あり方、感覚、心情、を、
ゆるしてく

今 ここ 目の前
内側 こころ たましい


そうするとね、
今ここにいる「自分」だけは
まずゆるせるように、
なるでしょう?
なっていくでしょう?

そうしてふっと心が軽くなったとこで、
新しい、あるいは
いつもの一歩を踏み出すのね。

ふと思いついたこと
気になったこと、
その軽い気持ちとリンクすること。

それだけ。


「ゆるしたいもの」
(でもまだ憎しみがあるもの)
に向かって直線でぶつかっちゃだめ。

サッカー日本代表だって
(見てないけど)
ゴールに向かって
一直線に進むバカいないでしょ。
それじゃ進めない。
ボールを奪われちゃう。
見失っちゃう。

障害をさっさっ!
ってよけながら、迂回しながら、
なんなら時に戻りながら
体と球とを進めていくんだよ。

僕らも同じ。

人生はもっと曲線的、螺旋的でいい。

直線的じゃなくっていい。

その迂回こそ、
あなたの人生の宝物であり、
全てになる。

それが美しいじゃない。


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タイミング?

それは神様のはからいだね。

不快感そのものが
あなたのアイデンティティー
スピリットのガイド。


ゆるせないときは、
「自分」をゆるすだけ。


Matty
 
 

心がととのえば、
美しいスピリチュアルなクリエイションは、
自ずと生まれます。
 

 

追憶の書棚より、おすすめの本2冊

 
『 ゆるすということ 』
サンマーク文庫
ジェラルド・G.ジャンポルスキー
 
アロハ!ヒューレン博士とホ・オポノポノの言葉 』
サンマーク出版
平良アイリーン(著)
イハレアカラ・ヒューレン(監修)
 
たまたまですがどちらもサンマーク!
 
 
P.S.
前髪出してるあの女性が好きです。
                           

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