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Gift7「お母さんは幸せだった」と思えるか

僕たちが幸せに生きていくためには、

「お母さんが幸せだったか」
(幸せそうに見えたか)

どうかが、
とても大事なように思います。

「お母さん」ではなく
お父さん」でもいいのですが、

へその緒(感情)で
より繋がってたのはお母さんなので、
やっぱりどちらかと言えば、
「お母さん」
なのではないかと思います。


(あるいは、
 お母さんの機嫌がよければ
 お父さんの機嫌もよくなるから)



「お母さんを幸せにしたかった僕たち」


ではどうして
「お母さんが幸せ(そう)だったか」
自分の幸福感
リンクしてくるかというと…

「子供はお母さんを
⠀幸せにするため
に生まれてくる」

部分があるからです。

スピリチュアルの世界で
そんなことを聞いたことがあります。

僕も、そうなんだろうなぁ
と感じています。


ところが…

お母さんを幸せにしたかった
のに、

「お母さんが幸せそうじゃない
⠀ 笑ってない、いつも忙しそう

「私の思うような幸せを生きてない」

…となったら、
僕たちは
傷ついてしまうと思うのです。
凹んでしまう。

「自分は無力なのかなぁ…」

「自分(の力・存在)は
⠀ 認められていない…」

と。


そしてそれを、
恋愛社会でも同じように
感じてしまうのです。

相手を好きな人
お客様上司
お金なんかに変えて。

やっぱり自分はダメなのかな

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