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口数の少ない父親

社会に出てから
よりはっきりと感じたのですが⠀…


「どうしてみんな、
⠀誰かに相談して物事を決めるのだろう?」


その最初は中学生。

進路相談。


どうして日々の些細な苦しみ
キャッチしてくれない先生に、

より重要な大きな判断

進路を委ねられるのだろう?


僕は学校の先生に
進路相談ってまともに
(全くかな)
したことがありません。

全部勝手に自分で決めた。


また、
親にも相談していません。

本当です。

中学から高校、
高校から大学、
大学から社会。

そういうものだと思っていました。


父親に進路や職業について、
何か言われたことが実は、

一度も、ありません。

したがって、
相談したこともないんです。

“報告” は
決めてから、決まってから。


書いてみるとなんか
異常感がありますね。


相談というのは、

「答えを持っていそうな人」

にこそ問うべきじゃありませんか?


大人になってからこれが
ふつうじゃないこと
(圧倒的少数派)
であることを知るにつれて、

「あぁなんだか損な環境だったな」

と思ったりしたのですが、

(他人のお父さんとの関係を
⠀ 羨ましく思ったり)

それでもよーく、
よーく考えてみると

“その部分について”、

「僕の父親」は完璧でした。

※ 悪い側面から見れば、「機能不全」です。

※「他人の親」がよく見えるのは、まるであなたの部屋着と他人のインスタ上のファッションを比べるようなもの。外に見せるもの・ときは気を遣いますから、よく見えて当然です。



これに関連してもうひとつ、
社会に出てから疑問だったのが、

「なぜ人は、人様に命令や指示を
⠀ 遠慮もなくしてくるのだろう?」

ということでした。


今は分かってますよ、
そっちの方が多数派で、
「フツー」と呼ばれていること。

でも僕は、
勝手に育ってきたものですから、

(もちろん最低限の
⠀ 育つ環境は与えてもらいました)

大学生や社会人になってから

なぜ人がこちらのあり方に対して
干渉してくるのか?


が分からなかったのです。

心底、不愉快だと思った。

これら感覚のギャップに、大学生以降とくに苦労しました。お察しの通り。



ですからこれは、
僕も人に対して似たような感覚です。

基本的にわざわざ
相手の領域に入りません。

(好きな人に
⠀ アプローチしたりはするよ)


必要であれば、
あるいは求められれば
助言したりしますが、
ほっといてます。

でも特に
“ほっといている”
つもりでもない
わけです、

そっちが僕のスタンダードだから。


そしてそれだけが
最もいい — 不快感のない —
教育、成長だと経験してきたから。

(だから分かってるって、
⠀ それが少数派だってことは)


「答え」は自分で考える、
やってみる、創る。


たぶん父親もそうやって
生きてきたんだと思います。

僕より圧倒的なハンデを
(環境に)抱えていましたから、

そうして一定のとこまで来たのは
立派だと思います。


で、父親からそうやって
言葉を聞かされたわけじゃないけど、
僕も勝手にそうしてきました。

それが僕のスタンダードなんです。

ごはん茶碗にお米粒を残さない方が
(少なくとも一昔前までの日本の大衆の)
基本であるように、です。


基本的に「1人」という単位で
人生や人をとらえていますから、

「群れる」ことが
基本である人たちの感覚を理解するのに
とても時間がかかりました。


そっか、
その方が常識的価値観なんだ
最初っから違うんだ。。


僕はだから、
「冷たい」のでもなく
「あったかい」のでも
ないかもしれない。

でもあえて言えば

「信頼」はしています。


これたぶん、
父親も同じで、

そしてもしかするとこれは、
どんな助言よりも
サポートよりも強烈で、強力です。

多くの人はこれ、
“できない” のではないでしょうか?


「信頼」


冷静な感覚がないとできない。


まず自分がそうして
「1人」を経験しないと、

「1人」のヒトを見た時
同じように接せられない。



ということが分かった時、

「無関心で(分かりやすい)
⠀ サポートがなくてイヤだなぁ」

から、

「あれは完全な信頼だった」

と、ありがたく過去を
受け取れるようになった
のです。


また同じように、

少数派かもしれないけど、
自分の、
「他人との関わり方の流儀」
も非常に知性のあるものだと
思えるようになった。

これが俺だ、と。

これも素敵な
関わり方のスタイルなんだと。


Matty

※ トップの写真は他人です!



実は全体で第2位の人気記事。
嬉しいような恥ずかしいような…
そんな関連記事ですが、
きっとあなたにも救いになります。


追記

そしてそんな、「自ら決める、生きる」ことをブランドと言うのでしょう。
誰かが認めてくれて、じゃない。
自分が、決め、自分が、認めてこそ、主体的なブランド。


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