見出し画像

映画『数分間のエールを』みたよ

昨日高校卒業以来、久しぶりにひとりで映画館に行った。わたしはケチなので、チケット代が上がったということと、どうせ半年も経てばサブスクで配信されるだろうと言い訳をしてしばらく映画館に行かないでいた。


でも本来映画というものは、映画館で見られるように作られているはずで、家で見るのと映画館で見る映画は全く別のものであると、そんな当たり前のことをわたしは忘れていた。目の前の映像と音だけに集中することができる。それだけじゃない。授業を抜け出して昼間から映画を見れる背徳感(本当はよくないんだけどね)。周りの人のふふっと溢れた小さな笑い声、鼻を啜る音……エンドロールが終わって、周りを見渡せば、みんなどこか満足げな顔をしている。映画館を出た後、世界がほんの少しだけ変わっているような気がする。昨日は映画館に行って本当に良かったと思った。

✎‎𓂃𓈒𓏸

映画に行く前日、イラストや小説を描く仲間と話しながら深夜作業をしていた。最近ずっとずっと考えているのに何も形に起こせない、と何気なく相談したら、

「息抜きだよ息抜き!映画館でも美術館でも、なんか見に行きなよ!」

そう言われた。確かに、最近考えてばかりで、時間がないと言い訳をして、それから他人の素晴らしい創作物を見ると何もできない自分にもっと嫌気が差すんじゃないかと怖くて何も見ていなかった。そんなものに怖がっているんじゃ、進めるものも進めなくなるだろう。わたしは映画館に行くことに決めた。
まさか相手は学校をサボれなんて趣旨は一ミリもなかったと思うが、わたしはさっそく次の日に、三、四限をブッチして映画館へ行くことにしたのだ。

当日知ったんだけど、どうやら水曜日は映画安い日だっ
たみたい



⟡.*

「作る喜びと痛みを知る全ての人へ」


広告で見たこのフレーズにひっかかってわたしはこの映画を見た。
映画の感想を書こうと思っていたんだけど、ただの懺悔になってしまった。見苦しい文章ではあるが、お付き合いしてくれる人がいたらとても嬉しいよ!

この映画を見てわたしは本当に共感してしまったんだけれど、それと同時にとても申し訳なくなった。だって喜びも痛みも、本当に努力した人だけが語るのを許されるものだから。

ここからちょっとだけ自分語り。
高校二年まで、バリバリの理系のつもりでいた。わたしは本気で天文学者になりたいと思っていた。宇宙はほとんどのことがわからない。だからこそいくらでも自分の夢や憧れを押し付けながら研究していける。

138億光年のどこかに自分の信じたいものがどこかにあって、それを探してみたいと思っていた。

しかし、その夢は数Bにあっさりと折られた。今考えたら、もうちょっと頑張ったら乗り越えられたかもしれない。今選んだ道からまた逃げたくなっているから、今更後悔しているだけで、たぶん当時のわたしには、それ以上の努力をわたしはできなかったと思う。その夢はあきらめた。天文学者になりたいという夢はその程度だったということだ。


それからわたしはなぜか藝大を目指し始めた。今でこそ何かを作ることに対して人に説明できる理由があるものの、絵を描くのがなんとなく好き、当時の理由はそれだけだったと思う。
わたしの高校は偏差値75超で、ものすごい優秀な生徒ばかりの学校だった。その中でわたしはいつも内部進学ができるギリギリの成績で上がってきたぬくぬく温室育ちの落ちこぼれ。だから自分は勉強では張り合えないから、フィールドを変えよう、そう思って逃げただけだった。文化祭のポスター、クラスTシャツのデザイン、体育大会の団旗のデザイン、アルバムの表紙……何かと絵を描く機会があれば誰かが頼んでくれて、それを使ってもらっていた。だからわたしには絵があると、そう勘違いしてしまったのだ。
過去のほんの少しの栄光に縋って、やればできるからと言って努力をしない、クズだ。ちょっとだけ器用貧乏だからって、自分には才能があると勘違いをした、ただの怠け者だ。

わたしは藝大受からなかった。その上コロナと胃腸炎にやられて第二志望も受けられなかった。そのせいでまた言い訳をした。病気のせいにして、病気がなくたってこんな努力の足らなくて落ちていたかもしれないのに。
でも、でも、わたしなりに初めてこんなに努力した。好きな紙質のスケッチブック、世界堂へ予備校に行く前に買いに行って、14冊埋めた。鉛筆も何ダース使ったのか覚えてないぐらい使った。お小遣いはみんな2Bのハイユニに変わる。別にそれは全く辛くなかった。なぜかわからないけど、たぶんまだ夢があったから。デッサンも一年で100枚は描いた。一次試験は自画像だったから、大嫌いな自分の顔も泣きそうになりながらじっと睨みつけて描いたよ、今も部屋の床にはぐちゃぐちゃになった自分の顔が転がっている。そろそろ捨てないといけないのに、そのまま放置している。

でも、「実はわたし、恥ずかしながら藝大志望だったんですよ〜笑」そういって自虐するのだけはやめたい。藝大目指した1年間は絶対に無駄じゃないし、恥ずかしいことではないはずだから……!


わたしのできることすべて尽くして
藝大に送ったポートフォリオ
結局一次のデッサンで落ちちゃったから1文字も読まれることはなかったんだけれど、これを作ったことはきっと無駄にはなっていない


わたしには浪人をするメンタルはない。浪人したところで、また言い訳をして、自分の最大限の努力をせず、きっと失敗するだろう。親に言われた、お前には無理だからやめてくれ、一度でも受けさせてやったんだからもういいにしてくれ、学費なら払ってあげるから頼むから現役で大学に行ってくれ、と。わたしもそう思う。
受験前デッサンはみんな泣きそうな顔もしていた。対して枚数描いていない、夏のデッサンコンクールのときよりずっと汚い絵だった。浪人したら受験前もう何も描けなくなっちゃうかもしれない。失敗を避けてきて、逃げてきただけの人生。才能があると思っていたかっただけで自信なんて何にもなかったから、本当に怖かった。もう一度それをするなんてきっと無理。

三月になって最後に二次募集の学科試験で通った大学に、また新しい言い訳と後悔をしながら通っている。 周りの人は、いいじゃん、藝大より教職取りやすいよ!とか、この学科なら大丈夫だよ、就職先あるよ、地方公務員とかどう?とか、悪意なく言ってくるんだけど、そういうことではないんだよね……。


✐☡

わたしが個人的に一番しんどかったのはトノ君がスケッチブック51冊も描いていたということ。自分が情けなくなった。それでもやめるって、きっと彼には0か100しかないんだ。藝大美大は正解がないから、どれだけ努力したとしても絶対はないし、中途半端な実力で、中途半端な学校には行きたくないんだろうな。でもきっと彼は勉強でも絶対いい大学に行ける。だってあんなに努力できる人なんだから。わたしにそんなこと言う資格はないけど、ちょっと勝ち逃げみたいでずるい。
先生もきっとそう。先生やりながら歌ったっていいのに、歌はもうきっぱりやめるって言って、最後はまた先生をきっぱりやめて、音楽を選んだ。先生をやめる件は少しそんなに簡単に辞めちゃうか?とも思ったけど、そこはフィクションだから、それだけ彼方くんのMVに心動かされたってことなんだろう。

わたしも今学校で教職課程をとっているから、いろいろ教師という職業について学んだり、自分の先生に話を伺ったりするんだけど、「教師はとにかく忙しくて、自分のやりたいことできなくなるんじゃないか」と自分の高校時代の恩師に話したら、

「好きなことなら、時間削ってでも、やれるよ」

そう返されて、何も言えなかった。その人は教師の十時間超えの労働に加え、ほぼ毎日一冊本を読むという行為をずっと続けている尋常じゃない読書家だ。その彼が言うのだから、この言葉には納得がいく。
それもありなんだ。途轍もないタフさがないかぎり多分持たないけど、途中でまあいいかって妥協してしまうかもしれないけれど、現実を知りながらでも夢を追いかけることはきっとできる。
自分はいろんなことに興味がある、全部やりたい、それは良くするも悪くするも全部自分次第だと思う。今までは途中で投げ出して、全部中途半端にしてきてしまったけれど、これからは全部を本気でやってやろう。
わたしは、今できるやりたいことを全部やっていこう!

わたしのあこがれの宮沢賢治。
彼なんて38年の短い人生の中で、先生、文学者、詩人、科学者、音楽家、農民……全部やってるから本当にすごい人だよ。そういえば天文学者の夢も彼のせいかもしれない。宇宙スケールでものを見て、話してくれるのは彼しか居なかったからね……。
当時は全く無名だったのに、今はすっかりものすごい文豪扱いされてすごい人なんだから、当然の事なんだけれど、今彼が今をしったらどう思うかな?多分きっとちょっと笑うだけな気がする。



わたしは認められたい!褒められたい!わたしのこと馬鹿にしてきたヤツらを見返してやりたい!といった承認欲求こそあるが、実はあまり「自分の作ったもので人の心を動かしてみたい」と思ったことはない。

自分の本当に見たいものはまだこの世界にないから、それが具体的にどんなものなのかもわからないけれど、いつかそれを見たい。だからそれをわたしが作る。

幼少期に見ていた、聞こえていた大切な感覚が、わたしの頭の中で勝手に美化されて、ただの思い出になりきってしまう前に、それを大事にしまえるものが欲しい。その上で他の人も自分の大切なものを大事にできるようになってもらえたら……とも思うがそれは二の次だ。でもたぶん、祈り続ければ、作品を作り続ければ、きっとだれか自分と同じような人間にも届くようになるだろう、先生と彼方くんのように。
それから、これは夢の見過ぎかもしれないが、どこかで信じていたいこと……生きている間に報われなかったとしても、いつかどこかで自分の残したものが、誰かにとってのおとぎ話になるかもしれない。読み人知らずの歌になるかもしれない。もしもそうなったら、本当に素敵だ。

映画を見た日の夜に思いついた
自分が描いてる「夜行羊」という物語のシーンのメモ
これは放課後の体育館で、新美南吉の「ラムプの夜」の贋作を演じているシーン。
「ラムプの夜」は、新美南吉が先生時代に自分の生徒のために書いた台本だそう。

この記事が参加している募集

#映画感想文

69,031件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?