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「がっかり」はエネルギーのギアチェンジ?

今回も個人の感想の域を出ない記事ですので
オカルトとしてお楽しみ頂ければ本望です。

前置き



「がっかりする」ことってよくありますか?
あまりありませんか?


「がっかり」とは
期待が外れて落胆すること。

他人に対して、自分に対して
または物事に対して
「こうなるだろう」とか「こうあるべき」など

理想や結果を勝手に自分が都合よく作り上げて
思い込んでいるから起こる感情だ。

相手や物事が悪いわけではなく
「自分が蒔いた種を自分で拾う」

それだけのことだと思う。

でも、人は自分の解釈で考えたり、
感じたりするわけだから、
そりゃ期待だってしちゃうことはあるのだ。
それが人間というもの。

出来れば、がっかりしたくはないし、
こういう気持ちはあまり味わいたくはない。

で、

転んだらタダでは起きないことにしている私は

「がっかりすること」には
何か意味があるのか?


エネルギー的な観点で考えてみた。

…考えてみたというより、
あるときふと「あれ?もしかして?」
と、ちょっと感じたことがきっかけで
後付け的に
「こういうこと?」という仮説が立った感じである。

検証も事例を幾つ作ればいいのかはわからないし
個人差もあるかもしれない。

でも、ライフハックの一つとして
記憶のどこかに保存しておくと役立つことも?

そんなスタンスでよろしくどうぞ。


あるとき、がっかりしたときのあの感覚を
(不思議な感覚だな~)と、ぼんやり反すうしていて、
ふと、気づいたことがあった。

車のギアチェンジの手に伝わるあの感覚
あれである。

あれにそっくり。

最近の車はオートマティック車がほとんどなので
わかる方は少ないかもしれないが

マニュアル車では発進から加速、また減速の状況により
アクセルやエンジンブレーキを効かせる際に

ギアを一旦「ニュートラル」にし、
(伝動装置を動力と切り離し)

加速または減速へ移行させる。

ニュートラルとは
「どのエネルギーにも繋がっていない」状態


ギアをニュートラルに戻した際
「ストン」とギアから外れた感触が手に伝わって来る。

この「ストン」って感触と
がっかりしたときのエネルギーの「遮断」が
とてもよく似ている、と気づいた。

「がっかり」したときの感覚は
エネルギーの流れが一旦、ニュートラル(遮断)状態になる。


つまり、自分の意識エネルギーが
ギアチェンジする、その前段階ということ。

もしかして「がっかり」は
エネルギーの変速を行う調整状態なのでは?


同じことをうだうだ考え続けていたせいか
この仮説を検証できる状況が
一か月の間で、立て続けに2度起きてしまった。

ふだんはそんな頻繁にがっかりすることはないので
立て続けというのも今思えば不思議である。

まず最初、誠実で真面目な人だと信頼していた方の
あるときの何気ない行動によって
その人の性格まで疑いそうなほど、衝撃を受けた。

私は大層、がっかりしてしまい、
気持ちの行き場所を失っていた。

がっかり・・・なう。

その感情を持て余し、
数日してようやく、がっかりから抜け出せたある夜、
お風呂から出て髪を乾かしていたとき、ふと

自分の家の洗面所、いつもの時間
いつもの空間にいて、

言葉でうまく表現出来ないが
「あれ?何か変?」
漠然とした違和感を持った。

洗面台に置かれた歯磨き粉や歯ブラシ、
コップ、蛇口のスピンドルのカタチ。

同じなんだけど、何かが微妙に違う。

でもよくわからない。
「何だろう?」

その疑問はその翌日、
職場にかかって来た電話で解ける。

母が意識不明で救急搬送され
「危篤」との連絡だった。

その知らせに驚きながらも、
同時に「あ、コレか・・・」
と、妙にしっくり来る感覚があった。

なので、受話器越しに伝わる緊張感とは
うらはらに私は全く動揺していなかった。

先にいっておくと
そんな事があったなど嘘のように
現在も母はすこぶる元気 である。
(むしろ世にはばかっている。)

原因はアナフィラキシーショック。
救急搬送中は意識不明で心拍数もかなり落ちて
処置の遅れによっては命に関わる状況だった。


だが、私には母が、まだ生きる…(まだって^^;)
と確信していた。

この一回なら、あの違和感は
記憶に残らなかったかもしれないのだが、

この母の件から二週間ほど後、

単純な私は、ある人の言葉というか
冗談(だったらしい)を真に受けて
すっかり意気消沈し、心底がっかりしていた。

ため息出ちゃう・・・なう。


私もホントに懲りない。

こんな短期間に、
こんなひどくがっかりすることってある⁉ってくらい、
心底、がっかりしていた。

それから10日ほど経ったあたりだろうか。

職場のスタッフのご家族が
意識不明で救急搬送されたという知らせ。
こんな同じことが立て続けに起こるのも珍しい。

が、その知らせを聞いたときも
直感的に「助かる」と感じた。

私は彼女のご家族が助かる「世界線にいる」
そんな確信だった。

その方は脳梗塞で、一時はやはり危篤状態で深刻だった。


どちらも年に一度あるかないかくらいの
「がっかり」だったせいか
出来事もかなりインパクトの強いものだった。


エネルギーの大きさにより
事象の大小はあるのかもしれないが、

がっかりしたときは
ストン!と、
エネルギーがニュートラルに戻され、
ギアチェンジが起こる・・・

そう思えてならない。


がっかりすることがあっても
落胆に暮れてばかりいないで

エネルギーがポジティブシフトしやすい
意識や感情にセットしておくことをお勧めしたい。

とはいえ、湧き上がって来る感情は
ヘタに我慢したり抑圧する必要はまったくなく、

がっかりしたなら
「あ~あ!」と思い切り溜息ついたり
言葉にして発散して構わない。
というか、むしろそれがいい。

次にその自分の感情を自身で認めて肯定する。

「そりゃーがっかりもするよねー!
悲しくもなるじゃないのー!」と、
思い切り、自分で自分の味方をする。

後はムリに気分を上げることはしなくていいが
あれこれネガティブな感情を蒸し返したりはせず、

自分の感情がじわじわ癒えて行くのを
じっと観察するカンジ。

もし気分がどんよりして
ネガティブに浸かりそうになったら

「なーーんちゃって!😆」
と声に出してにっこり言ってみる。

この言葉はふざけているようで
リセットの力がけっこう強い。

そして自然に「まあ、いっかー」と思えればそれでOK。

私はトイレの水を流す時に
「がっかり、あばよー!」
と指さし確認して呟いたり、
それがおかしくて笑ったりする。


がっかりしたときは
「良いことが起こる前触れかもしれない」
少しでもそう思えたら、チャンスだ。

もし、がっかりしたら
一週間~二週間はぬかりなく過ごし、
観察してみて頂きたい。



今日は ここまで。

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