「覚えてもらえない」が強み?
所用で出かけた帰り、夕食用の食材を買おうと近くのお店へ入った。
めったに利用することのないお店なので、キョロキョロしながら店内へ入ると、のれんのかかった催事ワゴンが視界に入った。
白いのれんの下に恰幅のいい店主(50代半ばくらい?)とおぼしき男性が私に気づき、「見てって~」と声をかけた。
深いボルドーのポロシャツがぷっくり突き出たお腹にはまったく似合っていない。
その店主に促され覗いたワゴンにはおはぎや磯辺餅などが並んでいる。
「おいしそー」
つい、声が出てしまった。
「でしょ?私も今、買ってもらっちゃいましたよ」
すると、私のつぶやきに反応して、先客の二人組の片方(男性50代くらい)が、私を振り返り、にんまり笑って手に持ったビニール袋をちょっと掲げて見せた。
連れの女性(恐らく奥さん)がバッグから財布を取り出しながら、やはりニコニコと恥ずかしそうな笑顔を私に向けて肩をすくめる。
その和やかな雰囲気につられ、私もその横に並ぶ。
「なんていうお店さんなの?」
代金を渡しながら女性が店主に尋ねた。
「え?聞きたい?」
店主は意外そうな表情をして答える。
「教えてもいいんやけどねー」
その返事に女性も目を丸くして店主を見る。
「聞いても忘れちゃうから知らなくていいよ」
「ぇえっ?」
私と先客夫婦の三人が同時に声を出す。
息の合った私たちの様子に店主が笑う。
「いやね、ワシ大阪から来てんけど、店舗は持ってなくて、こうやってあちこちの小売店とか百貨店専門に来さしてもらって売ってんの」
「だからね、ワシの店の名前なんて誰も覚えないの」
「…これね」
店主はそっとのれんを指さした。
私たち三人の視線は店主の指す、のれんの隅に小さく書かれた屋号へ。
店主の飾りっけないどこかほのぼのした雰囲気に巻かれて私たちも客同士、何となく親近感が生まれ、「じゃ」と、まるで知り合いが挨拶するみたいに会釈をして別れた。
あんな前置きされたせいで店の名前も覚えちゃったし、気が付いたら私も磯辺餅とよもぎ餅の入ったビニール袋を下げている。
あの店主、やるなあ…
今日は愉快な対面販売に出会ってしまった。
「立て板」というほどの傾斜はないけど、流しそうめんくらいの緩やかな流れのような?自然な会話運びにうっかり乗って衝動買いしてしまったではないの。
まあ、磯辺餅は大好物だし、店主の飾りっけない体の(実はテクニシャン?)話術が楽しかったからいいんだけど。
帰宅して着替えを終え、お茶を入れて餅をひと口ほおばった。
確かにああいった催事形態の店だと、屋号を尋ねられることはよくあることかもしれない。
各地を売り歩いて、老若男女さまざまなお客さんに「何てお店?」と訊かれては答え、場所によっては何度も行くようになったところもあって。
そのうち、顔を覚えたお客さんなんかも出来て。
嬉しさにちょっと心躍らせて「まいど~」って挨拶したのに、そのお客さんにまた屋号を訊かれて内心がっくり。
そんな場面もあったのかもしれない。
そんなことを考えながら、磯辺餅とよもぎ餅を平らげた。
・・・
餅は、何て言うか、平凡な餅であった。
マズいわけじゃない。
けど「ウマい!」と叫ぶほどでもない。
強いていうならちょっと醤油が立っている。
もひとつ言えばよもぎ餅も、柔らかく仕上がってるんだけど、よもぎの風味が薄い。
楽しい会話で覚えた屋号だけど、やっぱり忘れちゃうな~と思った。
あ!
そしたら私もまたどこかで会ったら買っちゃうってことー⁉
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