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大天使アブラギリヨル君【なんのはなしです科属】

彼は近くの大学に通う三年生だった。
二つのアルバイトを掛け持ちしていたが、それでもまだ希望の収入に満たないということでさらにうちへも応募して来た。

彼はダッボダボのうっっすい黄色のTシャツを着ていた。
面接にはスーツにネクタイじゃないとダメなんて思っていないけれど、『それなり』ってもんがあるでしょーに、と思った。

しかもそのうっっすい黄色、似合ってないし。

でも、学生だとこういうことはままある。
私がザワッと反応してしまったのは、履いているシューズとぶら下げていたリュックの色だった。

うちの店は、看板も社名ロゴも青。つまり青が企業カラーだということ。そしてライバル会社が赤。
いくら学生とはいえ、それを知らずに来たとは思えない。

「キレイな赤ね」

私が皮肉まじりに言うと彼は

「はいっ、自分は赤が好きです」

瞳にピュアな輝きを見せて答えた。

「うちの店の看板って、知ってるよね?」

「はい、知ってます」

「企業ロゴも?」

「はい!」

素直とはこういう表情を言うのだろうなと私は思った。
憧れの新幹線をホームで目の当たりにした子供のようだ。

「彼、ぜったい良い子だと思うよ」

マネージャーは彼のことがいたくお気に召したようで、自信満々にそう言い張る。
「でも、赤で来ちゃうヤツですよ」と進言したが、「まあ、いいんじゃないの」ってことで採用となった。

入社手続きに現れたときも、その赤いスニーカーに赤いリュックで彼はやって来た。
気になってしょうがなかったが、一応上下ともに制服が支給されるし、若者に煙たがられるような細かいことを言うのはよそうと思った。
これから張り切って働いてもらうためにも出鼻をくじくようなことを言って、ネガティブな印象を持たれたくない。

彼は業務トレーニングをそれはそれは真面目に取り組んでくれた。

お札の数え方があまりにぎこちないので、動画を観て練習して来るようにと言うと、自ら雑誌をお札サイズに切って、指がつってしまうほど練習した。

指先がおかしな角度にはねながら紙幣を折り重ねて行く。ぎこちなさはぬぐえないが、それでも努力は十分うかがえた。

また、身だしなみの指導でも、制服着用時に履く皮靴のニオイには脱臭炭がいいとアドバイスすると、次の出勤時にはそれを持参して、ロッカーに常備した。

ただやはり彼はどうしてか、赤いスニーカーとリュックで出勤して来た。
来る日も来る日もいつも、このレッドセットは定番だった。
何か彼なりの理由というか、こだわりがあるのだろうと私は思うことにした。


あるとき私がデスクでPC作業をしていると、彼がとあるファイルの収納場所を訊いてきた。

「ああ、それだったらそこの棚にあるよ」

私は棚のある壁方向を指差して答えた。

彼は礼を言うと、私の指す方向へまっすぐ歩いて行った。そして突き当りの壁の前で立ち止まった。
そして、壁面に貼ってあるタペストリーをしばらく眺めていたが、おもむろにそれをめくって裏側を覗き込んだ。

「何?」

彼の行動が解せない私は彼に訊いた。

「壁です」

彼は困惑した表情で、めくったタペストリーをそっと戻しながら答えた。

「ん? ん? どういうこと?」

私は彼のそばへ寄って行き、彼の顔を覗き込んでもう一度訊いた。

「壁…でした」

私の発した「棚」が、彼にどう聞こえたのかわからない。

たぶん、彼は私が差す方向へたがわずに向かっただけなのだ。
しかし、そこにあるのは『棚ではない』という矛盾に悩んだのだろう。

「棚はコレ」

私は壁を向いている彼のすぐ真横にそびえ立つタテ2m、ヨコ1.5mほどの棚の中段辺りに手を置いた。

「あ…」

彼は初めてその存在に気づいて動揺していた。

その表情に私は彼が「なんのはなしです科属」だということに気がついた。

なんのはなしです科属
共通認識という経験測が通用しない行動を取るカテゴリーの人々。
俗にいう天然ボケ。

個人的な造語です。


私の職場はどうしてだか常に「天然ボケ」人口率が3割を切らないという実績があった。

3割がこういう個性を持っている集団の日常はスぺクタルである。あるときは笑いの大渦、あるときはスリルやサスペンスにも巻き込まれる。

いつの頃からか、彼らによって巻き起こされるそれらのエピソードは業務引継ぎノートに記録されるようになった。
そして、そこに書き溜まった結果をもとに誰かが『ボケ☆アワード』を設けた。

それはやがて月初恒例となり、『月間ボケMVP』は、受賞者のロッカーに名誉の称号が貼られた。

『大型新人プレイヤー入社!』と、引継ぎノートに彼が紹介された。




一方、働きぶりはいたって真面目。業務の呑み込みも早かったし、朗らかで素直な性格はすぐにみんなに馴染んで行った。

入社して三か月経過した頃には、うちだけで集中して働きたいと申し出てくれて、掛け持ちでやっていた他の二つのバイトをやめた。

入社時に希望労働時間を確認するのだが、当初の希望時間の三倍近くになり、少し心配になって、本分である学業の方は大丈夫なのかと尋ねると

「自分、三年生は二回目なんで余裕っす」

と、答えた。

単位取得のミスで、進級要件を満たしていなかったらしい。
年度末になるまでそれに気づかないでいて留年したと彼は素朴に語った。

「そんなポカやっちゃうヒトっているんだ」ってカンジだった。


入社早々、彼はこの『棚』と『留年』エピソードでMVP新人賞を獲得した。
天然と言われたのは初めてだったらしく、彼は戸惑いつつも「賞には縁がないので嬉しいです」と感想を述べていた。

この『留年』の件で、ああ、だからバイトを幾つも掛け持ちしてたのかと私は気づいた。
仕送り期間が一年増えてしまった両親への経済的な負担を思ってのことではないかと。

「シフト、入りたいだけ入ったらいいよ」

良かれと思って、そう言ったのは私ではあったが、アルバイトの学生が月間120時間を越えるとは想定外だった。

「たくさんあったでしょ」

背中を丸めて給与明細をのぞき込んでいるのを、他のスタッフに声をかけられ、彼はとろけそうなくらいはにかんだ。

実に良い笑顔なのだ、これが。

『なんのはなしです科属』は『笑顔が天真爛漫』という特徴がある。彼の笑顔には誰もがついほっこりしてしまう。
大人なのに天使のような、という表現が似合っちゃう。

その笑顔にだんだん『ツヤ』が増して行ったのは半年経過する頃だった。

笑ったときの頬が若い人のピチピチ感に加え、テカテカというか、テラテラというか、妙に光沢を帯びていったのだ。

その原因に気づいたのは、制服の衣替えから数日したある日の彼の出勤時であった。

挨拶をしながら事務所へ彼が入って来た途端、せまい事務所の空気が『もわん』と歪むのを感じた。

彼はシフト時間が増え始めた頃から、バイト帰りに立ち寄って食べるラーメンにハマっていた。

アパートの帰り道にある二郎系のラーメン屋。そこが彼のお気に入りである。すべてを増し増しにして食べるのが至福なのだと嬉しそうに語っていた。労働の後の背脂は最高だと。

「昨日の晩ご飯も〇〇(←屋号)かな?」

私がそう尋ねると、

「えっ!何でわかるんすか⁉ 特殊能力ですか⁉」

彼は目を丸くして反応した。
彼の言葉に私が二の句を継げずにいると、

「くっっさ‼  何⁉  このニンニク臭!」

店から戻ってきた他のスタッフが事務所へ入るなり叫んだ。

そして。

彼の肉体は日々、増し増しが過ぎる背脂スープに浸され始めている

こんな容疑がかけられ、その場で起訴は確定して「翌日シフトが午前中のとき、前夜〇〇(←屋号)禁止」と、彼のロッカーに大きめの付箋で判決が貼られた。

さらに、その弊害は制服にも及んだ。

店内で商品を補充しようとしゃがんだ瞬間、彼のお尻部分が小さな悲鳴をあげて、ぱっくりとクレバスを作った。
そして、その内側からまったく違うカラーの何かが「いらっしゃいませ!」とそばにいた女性のお客さんにアピールしてしまった。

「あらやだっ! あなた‼」

お客さんの叫び声と彼がお尻を両手で覆ってカエルのようにジャンプしたのは、ほぼ同時だった。

彼はお気に入りのシューズくらい、ほっぺを真っ赤に染め、背中を壁面什器にこすりつけるように横移動してバックヤードまで帰還した。

事務所へたどり着いたはいいが、裁縫が出来ない彼は、そのクレバスの応急処置にホッチキスを思いついた。

無数の留め金でクレバスを埋めたのである。

とはいえ、布地のホッチキスは耐久性に欠けるから、うっかりかがみこもうとすると、彼の尻にキラッと金属片が輝くのと同時にかすかに亀裂音も伴った。

この件より後しばらくは「背脂くん」とか「クレバスくん」などと呼ばれるようになった。
誰かが何気に発した「ホッチキス」にもいちいち反応していた。

あるとき私が彼のテカテカな笑顔に「今日もアブラぎりよるねえ」とつぶやいたことが採用され、「アブラギリヨル」というのがアワードの際のキャラクターネームとなった。

大天使ミカエル、ラファエル、ガブリエルに次ぎ、満を持してオイリー爛漫な笑顔の「大天使アブラギリヨル」は爆誕した。



こうして我が店の大天使は、インパクトのあるエピソードをまき散らし続け、常にMVPのトップ争いに名を連ねた。


時は過ぎ、最初は半年というアルバイト契約は3度更新され、大学卒業ギリギリ、アパートを引き払う前日までうちで働いてくれた。

みんなで彼の歓送会を開いた席で、

「二年間、その赤いシューズとリュックだったよね」

アルコールも入っていたことで緩んだ私はポロっとこぼした。

「どうしてもこれじゃなきゃやだって、何かこだわりがあったの?」

私の質問にきょとんとする大天使。

「うちの企業カラー知ってて、それで通い続けたんだもんね」

「よりによって、赤だもんね~」

「いい度胸してたよね」

スタッフみんなが口々に言って笑う。

「あ…」

彼は最後の日にようやく自分の大胆さに気づいたようだった。

理由は「好きな色だから」以外に何もなかった。



ちなみに彼は大学卒業後、宇宙開発系の企業に採用となり、上京して行った。彼はそこでSEとして働いている。
採用通知を聞いて、実はすっごい頭良いヤツだったんだとみんなズッコケた。

大天使アブラギリヨルは重力体験が地上ミッションだったのかもしれない。





うりもさんの今月のスタエフテーマ
『職場の人、学校関係の人』あなたのつながりを教えてくださ〜い


私のいた職場は人財の宝庫だったとつくづく思う。
そもそも、店舗名をどうしても噛んでしまう人が社長だったし。

あと5~6人は軽く書けそうなんだけど、「そもそも、あなたのいた会社が#なんのはなしです(株)?」と思われそうでためらっている。



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