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「弱虫毛虫」か「弱虫小虫」か


どちらが正かと悩んで、調べてみるとどちらも存在した。
そういう言葉や文章ってたまにある。

表現したい気持ちと一致するのなら、その言葉を選べば良いと思うのだけど、どちらの意味もしっくり来ないような、はたまた中間地点にあるような曖昧な気持ちが彷徨っている時は、決着をつけるまで悶々と悩むことになる。

例えば、弱虫毛虫が毛を逆立ててうねうねと動く虫を連想させるのならば、それは弱そうであると同時に、嫌われやすい存在なのかもしれない。
あの奇妙で滑らかな動きは、固い骨を皮膚の内側に持つ私達にとって未知の領域であり、得体の知れないものというのは意志の所存が見えない底知れぬ不安すらも与えるような気がする。
これは想像を膨らませすぎたかもしれないけれど。

弱虫小虫という言葉を見れば、それはとにかく小さく儚い存在を表しているようで、世間には見向きもされず一生を終える存在として誇張される。
小さいからと言って弱いとは思わないけれど、どうしてもその存在としての色は薄くてあっけない。
あえて想像するのなら、命を終えて身体から染み出した色が何色かによって、初めて自分が何者であったかを知るかもしれない。


虫から見上げた私達は強く、命を脅かす存在なのかもしれないけれど、実は何よりも脆くて弱いのかもしれない。
命を張って人間を威嚇し、その小さな身体で目を見張るような速さで仕事をし、場合によっては到底叶わないような人間をも殺す力がある虫の方が、本当は強いのかもしれないのに。


社会におけるわたしは、弱虫な「毛虫」なのか「小虫」なのか。

欲を言えば、例え気持ち悪いと言われても、ある種の存在感を放つ「毛虫」でいたいと思うけれど、小さくても強い信念を持って身体を張れる「小虫」ならばかっこいい。
弱くて小さい生物が弱いとは限らない。
その裏に猛毒を隠していることだってあるのだから。

弱虫なりに「毛虫」なのか「小虫」か。
今日はどちらで生きてみようか、とりあえずコーヒーでも飲みながら、そんなことを考える。

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