「明るい動きを見せていきたい」聖華高校/大西眞斗さん 委員紹介⑤ Vol.42
『美唄の未来に夢を描く委員会』の5人目の委員のインタビューは、大西眞斗さんです!
記事を通して、メンバーのまちへの想いや委員会の活動についてお伝えできたらと思います。
ルーツは屯田兵だった
かつて炭鉱で栄えた南美唄という地域で生まれ育ちました。
先祖はもともと屯田兵として美唄に入ってきた人で、農業を営んでいました。家の周りは畑ばかり。小さい頃には農作業を手伝ったりもしていましたね。
幼稚園は、アルテピアッツァ美唄にあった栄幼稚園に通っていました。(2021年に閉園)山の中にあったので、鹿とか熊が出たというアナウンスがよく流れてたのを覚えています(笑)。
母校がなくなるという現実
小学校は、近くの南美唄小学校というところでした。その後、南美唄中学校に進学しますが、自分が卒業してすぐ小中とも廃校になってしまいました。(栄幼稚園と同じく2021年に閉校)
母校がなくなるのは、やはり悲しいですね。数年前には廃校が決まっていたので、後輩たちもほとんど入ってきませんでしたし、家族ごとまちの中心部や市外に引っ越す友達も多かったです。よくニュースで耳にする”人口減少”という現象を実際に感じています。
看護師としてUターンしたい
従兄弟が市内にある聖華高校にいたこともあって、看護に興味を持ち、そこに進学しました。
聖華高校は、普通のカリキュラムに加えて看護の専門的な授業も入っているのが特徴。高校を卒業後、2年間の専門過程に進むことで看護師国家試験の受験資格を得ることができます。
入ってからイメージとのギャップはなく、自分のなりたい姿に近づけていると感じています。学年が上がるにつれて専門科目が多くなってくるので、これから一層楽しみです!
座学だけではなく実技も多く、最近だと血圧測定や医療用手袋のはき方などを習いました。患者に触れる手袋の部分に触れないように手袋をはく作業です。(北海道の方言で、手袋はつけるではなく「はく」という)
将来は看護師になりたいと思っています。周りからは美唄に残るように言われますが、一度は外に出てみたいという気持ちもありますね。そしてまた美唄に戻ってきたい。
想像した以上に大きかった委員会
「美唄の未来に夢を描く委員会」のことは、はじめ学年主任から話がありました。
聖華高校は、市外から通っている生徒がほとんどのため、美唄出身の自分に白羽の矢が立ったんだと思います。高齢者が多い地域で、若者で委員会を作るというところに新しさを感じました。
最初の2,3回は、大人に囲まれて緊張していましたね。3回目くらいから関係性もできてきて、安心して参加できるようになりました。自分が思っていたより大きなことに関わっているなということに途中で気が付きました(笑)。
キーン コーン カーン コーン(学校のチャイムが聞こえてきた)
まちの同世代からの刺激
それぞれのメンバーが、美唄のことを結構考えているんだという驚きがありました。普段高校ではまちのことについて話すことはないですし、話題に上がってもマイナスな側面を聞くことがほとんどなので。
特に同い年の藍音(今後インタビュー予定の沼達さん)には、刺激をもらっています。大人たちも賛同するような意見を堂々と発言していて、バックグラウンドが似ているためか共感することも多いです。実は栄幼稚園の同級生で、当時彫刻の周りで一緒に遊んでいたんです。委員会で10年ぶりくらいに再会しました。
委員会での議論を通して、以前よりまちの未来をポジティブに考えられるようになりました。美唄に残るのも悪くないかも。
実際の動きとして見せていく
今委員会で作っているもので駅やまちを飾っていけたら面白くなるんじゃないでしょうか。これからは思い描いていることを、一つずつ実現させていくことが大切だと思います。
今後は美唄でも、医療や介護の重要性が上がってくるので、そういった観点からまちを支えていけたらと思います。「いい看護師がいるよ!」と地域の方に覚えてもらえるように、まずは看護師への夢に向けてがんばります!
編集後記
→ Vol.44 委員紹介⑥ 美唄市職員/南出倖星さん
社会が1ミリメートルでも良くなると信じることに使わせていただきます。一緒に今と未来を創っていけたら最高に嬉しいです!