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関西実業団陸上競技選手権大会帯同を終えて

大阪を拠点にパーソナルトレーナー、パーソナルコーチとして活動している前田です。

令和5年5月12日~14日にかけて鳴門・大塚スポーツパーク ポカリスエットスタジアムにて開催された、第67回関西実業団陸上競技選手権大会(以下「関実」)の大会2日目と3日目にトレーナー兼コーチとして帯同して参りました。

普段こちらのnoteでは、アスリートが運動指導者として活躍する為に必要な学びを提供するという大義名分のもと情報を発信しているのですが、偶には日記的な記事があってもよいかなと思ったのと、試合会場という現場で感じたことを記憶が鮮明なうちに書き留めておくことも大切なのではないかと思いまして、いつもとは違う趣旨で殴り書きの様に書き進めてみようと試みている次第です。

ですのでこの記事に学びがあるかどうかは知りません。笑
前田の独り言にお付き合い頂ける方のみ読み進めて頂ければと思います。

まず関実は日本選手権に出場するような選手も力試し的にエントリーしてくる試合で、地方で開催されている記録会とは異なった緊張感があります。
私は現役時代から選手権大会でラウンドを踏んでいく緊張感だったり、予選ではアップ場が人で溢れ返っているのにラウンドが進むにつれて閑散としていくあの感じが好きなタイプだったので、「やっぱりこういう試合はええなぁ」なんて思いながら会場で仕事をしていました。

そう思えるのも多くの選手と関りを頂けているからこそですし、本当に選手には感謝しかありません。
全ての選手に感謝です。
私が関りを頂いている選手の中には本大会で優勝したり決勝に進出したりする選手もいましたが、まさにこれは選手権大会でしか味わえないもの。
逆に惜しくも予選で敗れたり、思ったような試合ができなかったという悔しさが残った選手もいますが、この悔しさも選手権大会でしか味わえません。

記録会では味わえないものがそこにはあります。
そしてその中でしか感じ取ることのできない何かがあります。
特に予選通過を狙う選手にとっては、ある意味では自分のベストを更新するようなイメージで試合に臨まないといけないわけですが、「記録会で走る」と「選手権大会の予選を走る」はまるで違うことです。
選手権大会が持つ独特の空気感の中で自分のやるべきことができるか……これが力の差となって現れます。
「練習では出来たのに……」「記録会ではいい感じだったのに……」そう感じたなら、地方の大会でも良いですからラウンドのある試合に積極的に参加していくのもひとつです。

さて、多くの選手に関わって感じたことを端的にまとめると、試合当日になって出来ることなんて最早ないということです。
もちろん身体の状態を整えたり、身体の動きに修正を加えることは当日やることですが、新しく何か劇的な効果のあることはできません。
試合当日に急に記録が伸びるというのは、ビギナーか成長期にある世代の選手だけです。
関実はもういい歳の大人の大会ですから、ビギナーズラックも急成長も望めないという態度で臨むことが肝要です。
然るべき準備をした人が然るべき結果を出す。
その結果に嘘はないということですね。
だから準備が一番大切。
準備というのは日々の取り組みということですね。

「これだけやって来たのにこの結果……」と嘆きたくなる気持ちは痛いほど分かりますが、残念ながらその結果はやってきたことの証明でしかありません。
自分の年齢、コンディション、仕事内容、家庭環境等を全てひっくるめて出来ることをせねばなりませんし、それはほぼ確実に学生時代のやり方では上手くいきません。

これは現場での肌感覚でしかありませんが、学生時代のコンディションを一種の貯金だとすれば卒業後概ね2年でなくなります。
ストレートに大学を卒業したとしたら25歳の年の話ですが、なんとなく当てはまる人は多いのではないでしょうか?
中には母校の練習に参加している人もいることと思いますが、そこで展開されている練習は大人用ではありません。
高校生と大人は別の生き物ですし、大学生にしても生きている環境がまるで違います。
どんな練習をしようともその認識を持っておくことは大切ですし、若い選手と練習できることのメリットとは何だろうかということを考えて取り組む必要があると思います。

もちろん学生と同じような練習をしたって構わないのですが、頭が学生のままだったら困るということです。
練習をこなすことが目的になっていないか?
その練習の目的は明確か?
なぜその距離なのか?
なぜその本数なのか?
なぜそのツールなのか?
なぜそのタイミングでやるのか?
そもそも課題は何なのか?

大人になればなるほど、これらの問いには的確に答えられる必要があるでしょう。

その解が「この練習で強くなったからです」だとすれば、それは何年前の話か精査が必要です。
もっと言ってしまえば、高校時代から同じようなことをしていないか確認しないといけませんね。
それでここ数年記録が伸びていないというのであれば、そういう結果に繋がる練習方法だったと捉えるべきかと思います。
ですから指導者として改めてこの辺りの認識について選手と共有することが重要だなと思うのです。

また、そもそも身体の状態がよくない選手が少なくないのだろうなと、これまた現場で改めて痛感した次第です。
お世話になっているチームのメンバーの身体を整えることもしましたが、当然普段整えている選手とそうでない選手の違いは歴然。
大人の場合は特にちゃんと整えず怪我をしてしまった場合、復帰まで時間が掛かる可能性が高いですし、怪我はしないにしてもそんな無茶苦茶な状態でよいパフォーマンスが発揮できるわけはないので、走る練習と同等に大切なことです。
身体を調整することの重要性について、再度啓発に注力したいと感じた次第です。

その調整というのは「コンディショニング」という言葉に集約できるのかも知れませんが、いわゆるマッサージやストレッチをすることだけがコンディショニングということではありません。ストレングストレーニングだって走る練習だってコンディショニングの構成要素です。(これは話が長くなるのでまた後日記事にする予定です)
その「コンディショニング」の概念を選手と共有しておく重要性も再認識。
特にスポーツをする人を指導するのであれば、ここはうるさいぐらいに勉強しておかないとダメですし、それが選手に伝わっていないといけません。

つまり指導者として選手にちゃんと話が伝わっていないなら、それはいい仕事をしているとは言えないということです。
指導者を付けずに競技を続けている選手の場合はある意味では全て自分の責任だと思いますが、指導者がいるなら結果の責任は指導者にあります。
指導者の言葉には重みがありますから、指導者は軽はずみなことを言ってはいけませんし、言葉の意味について共通認識を持てているのかは逐一確認するべしと思います。

そして指導者を付けずに競技に取り組んでいる人が圧倒的に多いのだろうと思いますが、そういった人たちにも何かお役に立てることがあるのではないかとも感じています。
引き続きSNS等での発信に注力をしつつ、何か新しい形での発信もすべしなのかもしれません。

そう思うのも、やっぱり陸上競技って面白い!と感じているから。
今回の試合帯同は嬉しさも悔しさもありましたが、めちゃくちゃ有意義な時間でした。
私を運動指導者の道に引き入れてくれたのは間違いなく陸上競技がきっかけです。
競技を引退すると同時にフィットネスの道に入りましたが、フィットネスの仕事には陸上競技で得たことが、陸上競技の指導ではフィットネスの仕事で得たことがそれぞれ生きていて、きっとそれが私の指導者としての特色。
陸上一筋の人々とは少し違った角度から色々出来ればいいなと思います。

私はどこかの企業やチームと専属で契約を結んでいない「草指導者」です。
ですからフットワークは驚くほどに軽いです。
指導等のご依頼はお気軽にご連絡ください。
何より関実に出場した選手の半数以上(?)も「草アスリート」とも呼べる存在。
草同士、花が咲くぐらいまでやったろうやんか!って思っています。
そう思えたのも今回の試合帯同があったからこそ。
草らしく泥臭く、ある意味では選手以上に熱くやっていきます。

拙い長文、最後までお読み頂きありがとうございます。


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