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#8 表現する…って

先日「音の引き出し」について書きましたが、道具を揃えましょうと言うことについて言及しました。

では管楽器の場合さらに突っ込んでいくとどういうことなのでしょう?

何度も言ってますが、管楽器は「息」でコントロールする楽器。
その息の作り方ひとつでさまざまな音色が出せるわけです。

では「息を作る」とはどういうことか。
よく世間では「『息』という漢字は『分の』である」と言われています。
そのときの自身の脳内の状況を作ってくれるんですね。

コミュニケーションツールとして私たちは「声」というものを使っています。声の種類について考えてみましょう。

●友達とおしゃべりするときの声
●内緒ばなしのように耳元でささやく声
●100m先にいる知人を呼ぶときの声
●大勢の前で演説するときの声
●ひとりごと

などなど…

パッと思いつくだけでもこれくらいはあるでしょう。
ここに並べたものだけを漠然と考えると、まず一番の大きな違いは声量、すなわち大きさです。

それぞれの声を出すときに使うであろう息の使い方はいかがですか?
それだけの息を使うためにどれくらいの呼吸をするでしょうか。

当然大きな声を出すときにはそれなりに息も必要です。
コソコソばなしのときにはそれほど息も必要ないことでしょう。
(これは小さい音や弱い音のときに息はたいして必要ないということではない)

さらにここに先日も書きました、我々は「感情を持つ人間」であるということ。
喜怒哀楽があるからこそ、その感情によっていろいろな息であったり、呼吸が生まれるわけです。

ここまで話したのは「声」の場合のお話です。
では管楽器の話に戻りますが、この「声」というものに考えられている「息」を、楽器を吹くときに必要な「息」に変換してみてください。

今ここで必要とされている声(音)はどんな声(音)なんだろう?
この場面でこんな声(音)を出したら場違いだな…
いやここはやっぱりこういう声(音)を出さないと!

声だったら考えて対応できるのに、それが楽器で吹く「音」になった途端対応出来ない人が多いんですね。
対応出来ないと言うより考えられない人が…と言う方が正しいでしょうか。

逆に言うと「これだけの人に伝えなきゃならないからこれくらいのこんな感じの声は必要だな」と思ったり、客観的に言うならば「いやいや人に話すのに、その話し方はないでしょうよ…」とか…

音も同じだと思うわけです。
「この楽曲のその場面で求められている音はどういったものなのか」
「このパートにおける自分の立ち位置はどういう音が適切なのか」
これを考えるだけなのです。

声ではなく管楽器というツールを使った上での話で、技術的な部分も絡んできますから実際にそれが出来るか出来ないかではなく、大切なのはそういう考えで臨めているかと言うことです。
もちろん出来た方がいいわけですが、出来るはずなのに、出来るだけの技術を持ち合わせているはずなのに、それが出来ない。これがタチが悪いのです。

「声」で使う「息」も「楽器」で使う「息」もTPOをわきまえた上で、今まさにそこで必要とされている「息」を使いましょう…と。

声も音もやはりその場の空気をきちんと読みたいわけです。
KYはあかんのです。(最近KYって聞かなくなりましたねw)

身の感情をコントロールし
の中で作り
として楽器に伝えて音として表現する。

常にこのことを考えながら楽器を吹いていってほしいわけなんですね。
せっかく頭では考えているのに
思った通りの息が出ない。
思った通りの音が作れない。
思い描いた音楽にならない。

これは単純に技術力が足らないわけです。

思い描いた音を出す、それに少しでも近づけるようにする、その技術を磨くこと。
それが練習なのです。

思い描くこと、考えることは自由です。
何も考えずにただただ音を出すだけではなく、こういったことを考えながら楽器を吹けば、また違った音楽に対するナニカが見えてくるのではないのでしょうか?

まだまだ自分も若かった頃。
1978年にサザンオールスターズがメジャーデビューしました。
「勝手にシンドバッド」でしたね。
まだ小学生だった私は桑田さんに対して「この変な歌い方なんだ??何歌ってるんだかわかんねぇな…なんだよこの声…」などと思っていました。あれから40年以上にわたって愛され続け、自身もそれなりに年を重ね、いろいろな音楽に触れるようになった今となってみれば、数々の素晴らしい楽曲を世に送り出し、アップテンポの曲からスローバラードまで素晴らしいものばかりではないか…と気付かされるわけです。歌い方、声、その声を出すための呼吸…

たまたま桑田さんを例に挙げてしまいましたが、永きにわたって愛される歌手のみなさんはやはり、その自分の歌に対してのいろいろな想いを「声」と言う楽器にのせて表現しようとしているのです。
さらにはその「声」に「詞」が加えられ、説得力が増すのです。
それが素晴らしいからこそ聴いている人たちに届くのです。
共感が得られるのです。

楽器を吹くときにも「音符」という「詞」を「音」という「声」にのせて「表現」の幅を拡げていきたいですね…というお話でした。

最後に…実際には息を使わない打楽器や弦楽器。ピアノやシロフォン、マリンバなどの鍵盤楽器。ダンスなども含め、これらを極めている方たちは管楽器を吹くことよりもすごいことをしていると思っています。
呼吸は使えても実際に「息」は使わないわけですから。
管楽器よりも断然難しいと思います。

逆に言いましょう。

管楽器は「息」を使えるわけなんですから!

ですから………もういいですね(笑)

ではまた〜♪

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