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風になる(5)

そういえば、今日はハロウィンですが、お菓子をあげる人もいませんしもらう人もいないので、とりあえず小説を乗せておきます。ちなみに、次で終わりです。

曲はハロウィンということで。

前回は↓から。

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 西海岸をイメージして作られたというその店は、ロサンゼルスから帰ってきたのかと思うような人々で少しあふれていた。不意に、ケイと来たあのカフェを思い出し、私は少しだけ胃の奥をつかまれたような気分になる。どうして、燃やそうと決めたのに。唇を噛んで上を眺めていると金色の髪の毛をしっかりと縛って働いているシュウが目に入ってきた。
 ウェイターで忙しなく働く彼は、焚火をぼんやりと眺めている時と違って、ちゃんと労働しているんだということを私に教えてくれて、少しばかり嬉しくなる。
「おお、来たんだ!」
 ニコニコとしながら私を見ると右手を上げて向かってくる。私も右手を上げて、それに応えるのだけれど、その顔は少し引きつっていたのだろうか、すぐさまスッと寄ってくる。
「まだ忘れられそうにない?」
 シュウは私の顔を覗き込みながら、心配そうな顔をしている。首を縦に振ると、彼は「そんなもんだよ」と言いながら私の頭をぽん、と触れる。驚いてシュウを見ると、ふっと笑ってまた仕事へと戻って行ってしまう。金色にパーマをかけたポニーテールがゆらり、と揺れて窓側のテラス席へと導いてもらう。
 どんなものを頼もうかとメニューを見ていると、髪の毛を短く切った男性がコトッとテーブルにサラダを置いた。
「え、まだ何も頼んでいないですよ」
「ああ、なんかシュウさんから奢りだって」
「そんな、いいのに」
「今日はあなたにとって大切な日だから、だそうですよ」
 キザですよね、と笑いながらお冷を手渡す青年。どうぞごゆっくりしてくださいね。というマニュアルにはないトーンでお辞儀をすると、そのまま接客に戻ってしまう。いい店だ、と思う。そういえば私はいつも仕事以外の日はケイのことをずっと待っていて、趣味も生きがいも。すべて彼にしかゆだねていなかった。私がいつもよそ行きで身に着けていたのは彼好みの高そうな服だけで、こうしてラフで多少しゃれていない服で外へ出て、こうしてご飯を食べるのはいつぶりだったんだろうなんて思う。
 彼はいつでも私に尽くしてくれていた。それが愛だと思ったから。だけれど、私は尽くしていたのではなく、都合のいい存在だっただけだった。きっとケイにそのことを話しても絶対に認めることはしないだろう。けれど、彼にとって私は体のいいリカちゃん人形だったのだ。海を眺める。唇をキュウ、と噛む。変わるには、強い痛みと苦しみが必要なのだ。私はサラダを食べ、パスタを食べ。さらっとしたワインをいただく。ゆるりと酒が回っていく。昼間からお酒を飲むなんて、学生の時以来だろうか。あの時に飲んだのはフリースクールの集まりか何かか。まだ寒い季節で、それで花見なのに花も咲いていなくて。それなのに、信じられないくらい笑いあって。何も知らなかったのに、何もかもが楽しすぎて。
 そうだ、ペアルックだってはやし立てられて、私に片思いをしていた男性が居たんだった。彼は私に何かと付きまとっていたけれど、やっぱり気持ち悪くて、最後は突き放すように別れたんだっけか。インスタで見たその人は、相変わらず一人ぼっちで寂しそうにしていて。ケイと付き合っていた時だったら私はなんて言っていたんだろう。きっと上から目線でいろんなことを言っていたのかもしれない。そう思うと、うすら寒くなってくる。
 思い出が不意によみがえって、海を眺め続ける。本当にこんな贅沢をしていていいのだろうか、とか。あの頃に戻ることができたらな、とか。そんなことを思っていると、シュウがすっとテーブルに寄って来る。
「どうよ、味は」
「すごくおいしい。でもいいの?」
「変わるってさ、それだけ大変なんだから。心に体力をつけないとね」
 笑いながら、デザートとコーヒーをテーブルの上に置く。ふわふわに作られたケーキと黒い色をしているコーヒー。
「ちなみに、このコーヒーはぼくが淹れたもの」
「愛情がこもっているってことかしら?」
「そういうことにしておこう」
 下を向いて、笑いあう。そうだ、私もケイとこうやっていつでも笑いあっていたかったのだ。こういう関係性で居たかっただけなんだ。それに気が付けただけでも、凄く良かった。今なら、きっと。シュウと笑いあいながら変わることができるかもしれない。夜が待ち遠しくなりながらケーキをほおばり、コーヒーを口にした。やがて沈んでいく夕陽はまるで焚火のように赤くて、いやあんなに赤々と焚火はしていなかったなって思って。
 とても、とてもおいしいひと時だった。

 本当に燃えてなくなるまではあっという間だった、と思う。それじゃあまた後で、と連絡先を交換してからシャネルのバッグを取りに戻る。その中に入れたのはいくつかの思い出と言葉にできない何か。私がそのバッグに詰めたのはそれくらいだ。あたたかなコーヒーを買って、待ち合わせていた海岸へと向かう。
 また、いつものようにタバコを吸いながらシュウは私を迎え入れてくれる。一つも変わらない顔で。既に焚火はパチッと音を鳴らしながら燃え盛り、後は放り投げてしまえば焚火が全て燃やし尽くしてくれるだろう。あれだけ昼間格好いい姿をしていたと感じていたシュウは、すっかりと髪の毛を下ろして、漫画を読んでいるときの顔になってしまっていた。ただ、微笑んでいる中で少しだけ真剣な声がした。
「未練は?」
「ある」
「やめておく?」
「ううん。やる。あんなにおいしいひと時をもらったんだもの」
「気にすることないさ。あれはぼくの勝手」
「元は取らなきゃ」
「現金だなあ」シュウは空を見て笑ってから、もう一度私を見た。今度は完全に穏やかな顔で、私に伝える。「大丈夫。見てるから」
 伝えると、私も頷いてバッグを焚火の中に放り込んだ。燃えていくバッグを見ながら、私はたった一人で天を仰いだ。白い煙の中に、黒が紛れ込んでいく。それは、私がとらわれていたもののすべて。レッテル、ステータス、これまで積み重ねてきたもの、全てとプライド。大人になってからつけてしまっていた物、全て。天へと昇って行くのが分かる。私が終わる。私が失われる。グッとこらえようとした瞬間に、華奢な胸板が私を包む。驚いて目を開くとシュウはタバコを吸いながら左手で私の背中を包んでいた。
 その瞬間に、私にとって大切だったはずそれら全てが、何もかも大切でないことが分かってしまって。大切にされていないことの悲しさがこみ上げてきて。涙があふれてくる。気が付くと私は震えて泣いていた。シュウは背中を優しくさすってくれていて、小さく「無理に頑張らなくていい」と耳元でささやいていた。
 火が消えたのは、それから30分経ったくらいだろうか。すっかりと体が冷えてしまった私たちは、純心に二人で向かい、あたたかいミルクココアを飲みながら話をしていた。手渡すと、シュウは笑いながら「ありがとう」と言った。
「ううん、大丈夫だよ」と私は返す。「私こそ、ありがとうだよ」
「なんで? もっとぼくはアリサにありがとうって言いたいのに」
「どうして?」
「ぼくもね、やっと色々と吹っ切れそうな気がするんだ」
「それは私もかな」
「良かった」
 シュウは笑う。私も笑う。どうしてだろう。さっきから私たち笑ってばかりだ。おかしくて笑っているんじゃなくて、何か新しく前へと踏み出せそうな自信を持った笑顔。
「だから、ぼくはそろそろこの町を出ようと思うんだ」
 驚きの言葉。そして、その時が来てしまったという私の諦め。いつかは来ると思っていたことだった。
「今度はどこへ行くの?」
「京都かな。年明けに実家へと帰ったら、すぐに行こうと思う」
「あては?」
「なんとでも」そう言って笑う。「冗談。同級生が向こうで働いているんだ。古民家風のカフェらしいんだけれど、そこを辞めるらしくて、短期でできる人を探しているみたい。ああいう品のある所で働いたことないからやってみようかなって」
「まず金髪を黒くしないとね」
「そうなんだよね」
 軽口をたたいたつもりだった。それなのに少しだけ、寂しい顔をしたシュウ。子の決意がどれだけ重たいかを察するにはあまりあるものだった。
「ぼくは、色々な人に迷惑ばかりかけてきた人生を過ごしてきてさ、どんくさくてぶきっちょで。『お前なんかいらないよ』と言われたこともあったしね」
「ひどい」
「うん、だけれどそれはぼくが悪いんだって思い続けて、戦うことから逃げて。というか、争いが面倒なだけなんだけれどね。そのたびに自分自身をどうすれば理想的にできるかなって思ってパーマをかけて、髪の毛を染めてって色々やったんだよね」
「発想が中学生じゃん」
「あ、やっぱりそう思う?」
「うん」
 二人でまた、下を向いて吹き出した。どうして、シュウといるとこんなに楽しいんだろう。そして、その楽しい時間ももう少しで終わってしまうんだろう。
「焚火もそれの一環だったんだよね。大切な何かを燃やすっていう」
「シュウは何を燃やしたの?」
「うーん」上を向いて考えてから、返した。「自分が色々と纏っていたプライドかな」
「格好つけたがりなところは燃えなかったのね」
「男だからね」
 何が男だ、全くと私は思う。世の中はジェンダーフリーだぞと思いながら虹色の旗を思い浮かべて、あの色は真っ赤な夕焼けやあたたかな炎とは合わないなとだけ思った。
「だからかな。こうしてアリサと二人で過ごすことができて、嬉しい」
 驚いて目を丸くした私は、シュウにどう映っていたのだろう。それから二人で布団に入り、どういうわけか成り行きでセックスをした。吐く言葉以上にヘタクソだったけれど、丁寧で優しいセックスだった。
 彼が帰った後、押し入れに布団をしまう。そこにバッグはもう無い。ケイと手にしたかったそれらは、シュウが一通りすべて教えてくれたような気がしたから、もうあのバッグは必要なくなっていた。
(つづく)

~過去作品~


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