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風になる(3)

ということで、6あるうちの3です。

句潤も良いラップするよなー、って思いながら書きました。ようやく半分。

前回は↓から。

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 真冬の夜はどうしてこんなにしんとしているんだろう、と思う。何度と見た夢の中で、ケイは私に向かって笑っていて、それで私は手を伸ばそうとするのだけれど後ろにいる視えない影に腕をつかまれたままそこから動けない。何度も何度ももがこうとするたびに何かが私を責める。言葉で目線で、そして押さえつけられた腕で。私はいつも咎められ、弁解の余地さえないまま悪者扱いされたままで。そのたびにやりきれなくなって、お茶を飲んだり、漫画を読んだりするんだけれど、その日は漫画を読んでも何をしても眠れなかったので、海を見に行くことにした。
 寒空の中を一人で、通りのコンビニでコーヒーを買って海へと歩いていく。温かい缶コーヒーは寒さと私の飲むペースが速すぎるがあまり、あっという間に消えてなくなる。ペットボトルだとぬくくないし、大きいのを買うと持て余す。寒さに凍えながら、コートとパジャマで歩いていった。
 私はケイといるとき、とても心が満たされていた。いつも一生懸命に仕事を頑張っているケイは私にとって心から誇りに思える男性だったし、実際に彼と上手く行っているときの私はすべてがうまく回って、ただ自分がなっていたい姿やあるべき幸せだけを追い求めていた。ただ、それがあまりにも張りぼてで、しかも一瞬で消えてなくなってしまうようなものだったことに、私はまだ気が付いていなかった。
 気がついて見ると、私にとって幸せって何だろうと強く思う。今まで信じてきたものすべてが否定されてしまったようで。ただ純心で時をとどめているだけなのかもしれない。いつかは、歩き出さなければならない時を決めて。風が強くなり、海がもう少しであることを私に伝える。しんとした海にちらりと見えるオレンジ色の光とパチパチした音。何かを燃やしているような匂い。気になって、少しだけ歩くスピードが速くなっていく。
 視界が開けると、そこでは一人の男が焚火に火をつけて、何やら物思いに浸っていた。ぼんやりと火を眺めている彼のことを、私はどこかで見た気がした。私を見るや否や、彼は声をかけてくる。
「あれ、純心でモモを読んでいた子ですか?」
 金髪パーマに髭面の冴えない顔をした男が、私に声をかける。ぎょっとした私は首だけでうなづく。
「あ、ごめんね。そんな気分じゃなかったか」
 私に遠慮した男は、そのまま焚火を眺め続ける。どこでこんなに木々を拾ってきたんだろうと思いながら、私は遠巻きにそれを見る。オレンジ色でパチパチと音を立てている火を見ながら、美味しそうにタバコを吸っていた。ケイはタバコを吸わない人だった。健康に悪いからと言って、居酒屋で煙を浮かべている人たちを嫌悪するくらいには。私の友達も、パパもママも。みんなタバコは吸わなかった。だから、こんなに間近で吸われているのに、少しだけ違和感を覚えた。
「もしよかったら、この石にでも座りませんか?」
「良いんですか?」
「ええ。どうせですから、お話でも」
 人当たりの良い、柔らかな人だと思った。気が付いたらみんな友達にしているような。穏やかに包んでくれる温かさを感じる。あれ、たばこの煙嫌でした? と言って、吸い殻を焚火に放り込んで。それから私をじっと見た。
「なんですか?」
「少しだけ輪郭が見えてきたみたいですね」
「え?」
「この前の時より、少しだけ存在がくっきりしている気がします」
 目を丸くして驚いた。オレンジに染まる火が、その人を次第にくっきりと、そしてぼんやりとさせる。彼もまだ、ぼんやりとしたままなのかもしれないと思いながら。
「だけれど、まだまだ振り切れていないってところもあるみたいですね」
 まあ、ぼくもそうなんですけどね、と笑いながら焚火を眺めている。その顔は笑顔なのだけれどどこか寂しそうにしていて、私は思わずドキリとしてしまうほどで。
「もしかしたら、みんなそうなのかもしれないけど」
「そういうもんですかね」
「きっと、こうして焚火をしているのも、自分の存在をくっきりさせるためなんですよ」
 彼は笑った。また、寂しそうな顔で。
「ぼく、あっちこっち旅しているんです。日銭稼ぎながら、ある程度金溜まったらまた旅してって」
「なんだかせわしなく生きているんですね」
「そうですね、根無し草ってよく言われますよ」
 屈託なく笑う顔は、それでもまだ少し寂しそうで。
「でもね、色んなところに行けて色んなものに触れて。やっぱりそう言うの楽しいんですよね」
「それで、この町に流れ着いたと」
「元々東京の生まれなんですよ」
「え、そうなんですか?」
「だから、今年の正月くらいは顔を出せそうかなって」
 言いながら笑う彼は、とても明るくて、魅力的で。
「それに、こうして焚火もやりたかったんでね」
「あ、それで」
「こうしていれば、ぼくが今まで生きていたそのものさえ燃やしてくれそうでね」
 そう言って、私に向く彼はさっきと……いや、それ以上に寂しそうで。ただ、なかなかどうしてさっきから私の確信を突いてくるような、そんな顔と話をしているのだろう。火はまだ燃え盛り、そしてはじけるように天へと火と煙が昇っていく。私はそれをただ眺めながら、燃やしたいものを思い出す。
 海に行ったことがあった。結局その日は日帰りで、ものすごくゆっくりできたわけではないのに、どうしてだろう。一つひとつのことが鮮明に思い浮かべられるようになっている。ケイと遊んだ砂浜、ケイと一緒に食べた海の家の焼きそば。日暮れ、なんだか西海岸っぽいカフェで食べた夕食。そういえば、地元から少しだけ離れた海岸線だった。ママの顔を見ることさえできないまま、日が暮れるとサッと帰ってしまったけれど。
 快活で、いつでも気が利いて。それでいつでも私を見てくれて。もっともっと、話したいことや感じていたこと。彼の腕の中で過ごす時間。海と一緒にしたかったことがたくさんあったはずなのに。私は唇を噛みながら、焚火を眺める。
「そういえばさ、こんなの持ってきたんだよね」
 ガサゴソと何を探しているのかと思うと。取り出したのはマシュマロとビスケット。すっかりと冷めてしまって空になった缶コーヒーを私は恨む。
「昔、幼稚園でお別れバーベキューみたいなことやったらしくて。その時になんでか分からないけど、ぼくだけこれ貰えなかったんですよ」
「それってハブられてたんじゃないですか?」
「うん、そう。母さんが言ってました。ぼくは先生から嫌われていたって」
 明るく笑いながら話す彼は、私が知らないところで想像を絶するほどの強い否定を何度もされてきたのだろうと思うと、少し寂しくなる。私なんて大したことないんじゃないか、と。ずっとずっと私はママやパパに恵まれて、彼氏もいて。それがたまたま当たったのがとてつもなく大きなことで。見下すわけではないけれど、この人のように不幸を子供のころから背負っていたわけではないのに、と思いながら自己嫌悪に陥ってしまって。
 彼があっけらかんと笑いながら話す過去も、一切耳に入ってこなくて。続けて入ってきた言葉は、スッと差し出された割りばしとマシュマロ。
「いやー、やっと焚火でこれができる。夢だったんですよ」
 どうです? と差し出された割りばしとマシュマロをあっさりと私は受け取る。そして、なんとも準備が良く温かいコーヒーまでついていて。なぜだかホッとする甘さとコーヒーに私は安堵してしまって。言葉がこぼれていく。
「大したことないですね。私の躓きって」
「なんでですか?」
「だって、たかだか失恋して、それがたまたま不倫で。運が悪く職を失って。転んでいるのがバカみたい」
 吹っ切れたつもりだった。そうしたつもりで、どうして私はここに帰ってきたのか、そして純心で働いているのかまで打ち明けた。すべてがどうでも良くなったような、バカバカしささえ感じてしまう程に。吐き捨てるようにして、私は言葉をどんどんと続けた。それなのに、どうして彼は私を真剣に見つめるのだろう。
「バカじゃないですよ、全然バカじゃない」
 さっきまでの明るく笑う彼とは全く違う顔をしていて。
「むしろ、そんな悲しいことがあったなんて知らなかった。ごめん」
「そ、そんな」
 謝られて。別に私は怒ってもいなければ、悲しんでもいない。ふいにこぼれた言葉なのに、どうしてこの人はここまで真剣なんだろうと思う。そして、どうしてそんなに辛く悲しそうな顔をするんだろうと感じて。
「ただ、一個だけ良いかな」
「なんですか」
「きっと、ぼくも君も。燃やしたいものがあると思うんだ」
 次会う時までに、それを探してみようよ。彼とはそう言って別れた。別れる前に名前を教え合った。私はアリサ。彼はシュウ。まるで秘密基地の合言葉を教え合うみたいにして。

(つづく)

~過去作品~



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