見出し画像

ロウラヴ-音色-

King Gnuの「ロウラヴ」から思いついて、2年前に書いてみました。

↓とご一緒にどうぞ。

ちなみにこちらにも乗っけました。

-------------------------------------------------------------------------------------
 どうしてぼくは彼女と席を共にしているのだろうと思う。テーブルで頬杖を突きながら、彼女が何も言わずにビールを飲み、つまみで運ばれてきただし巻き卵やら、サラダやら漬物やらを片っ端から食べている。
 箸が止まる。彼女はそれからぼくを見る。
「何よ、文句あるわけ?」
「いや、どんだけ腹が減っているんだと思ってね」
「そりゃそうよ。何日も食べてないんだから」
 自慢げに語る彼女は、まるで当たり前のように食事を口に運ぶ。本当に、何日も食べ物を口にしていないという言葉に妙な説得力があると思う。生きるために食しているというのが本当に良く分かる。ぼくの横にある灰皿は赤マルですでにいっぱいになっている。イラついているのか? それともぼくは彼女がいることに安堵しているのか。だとしたら何故なんだろうと思う。まだ出会って一日しか経っていないというのに。
「あなたは」彼女は最後のだし巻き卵を口にしたとき、食べながら口を開く。「お腹空いてないわけ?」
「口に物が入っているだろうが」
「良いじゃないそんなこと」
「あんまり食べないんだよ」ぼくは赤マルを吸い込むと、大きく吐き出す。「味をあんまり感じないんだ」
「ふーん」
 彼女はそれを気にすることなく、最後のビールを飲み干して、大きくため息をつく。
「なんか、人生の大半を損しているんじゃない、あなた」
 すっと彼女がまっすぐにぼくを見る。のんきで子供のように貪っていたと思ったら、その瞬間に彼女は事の心理を突いてくる。その通りだと思う。ある時から、ぼくは味覚を失った。病院に行っても、時間が経過しても、ぼくの感覚が戻ってくることは無かった。気が付けば、ぼくは普通の人間として生きることを諦めなければならなくなった。バンドを始めたのが、その時がきっかけだった。
 5年たっても、どれだけ病院に通っても、薬を飲んでも。味覚が戻ることは無い。失ったものを数えることは、もう諦めていた。気が付くと、誰も居なくなっていた。ただあるままに、アルバイトに明け暮れてギターをかき鳴らしながら歌を歌っている。それで失ったものが戻って来るんじゃないかと思いながら。
「また、その目をしているのね」
「またってなんだよ」
「昨日からこれで10回目以上よ」
 両肘をつき、前のめりになりながら、彼女はぼくにそう話す。
「数えてたのかよ」
 ぼくは、苦笑いする。そう言えば、彼女が転がり込んできたときもこんな感じだったなと思い出す。

 彼女が突然ぼくの家に転がり込んできたのは昨日の夜だった。ライブハウスでのイベントが終わって、打ち上げも終わって。帰る途中だった。ずっと背後から尾行されている感覚があった。ストーカーかと思い、ただ前を向いて歩いている。そういえば、今までストーカーに追いかけられたという経験は、無いと思う。
 その足音は、ぼくが歩いているよりもはるかに大きく、そして詰まってきているのを感じる。何事かと思って後ろを向く。そこには、思っていた以上にみすぼらしい女が立っていた。
 くすんだ緑色をしたポンチョのようなワンピース、そのワンピースに隠れているハーフパンツ、歩きすぎてボロボロになっているムートン生地のブーツ。それ以上にぼくを射抜こうとするようなぎらついた眼。眼を細くして、彼女を覗き込む。彼女は見た目だけでなく、心までもどこか擦れているように見えた。
「なんですか?」ぼくは細くした目のままで彼女に訊ねる。「どこからついてきたんですか?」
「ライブハウスから」
 彼女から初めて聴いた言葉はそれだった。その見てくれとは裏腹に、彼女には途轍もないほどに余裕を感じた。どこも擦れていないようにさえ感じた。それとも意図的に隠しているのか。
「そりゃあまた、随分と遠いところから」
「あなたの足音を追いかけることくらい訳ないわ」
 今度は彼女が目を細くする。すでに電車も無い。ずっと歩いて帰ってきたのを分かっている。ギターを担ぐ腕が重たい。観念したようにぼくは天を仰ぐ。
「大したもんだ」
 赤マルに火をつける。煙がたばこから立ち上る。一つ、大きくため息をついたように煙を吐き出す。
「ボーカルのくせに」
「何が目的だ?」
「どうでもいいじゃない」
「良くはないだろ」
「それもそうね」彼女は笑う。ぼくは眉を顰める。ぼくの疑念は、ますます深まる。何を考えている、と身構える。「そう身構えないでよ」
 まるで悪役が、待ってくれというかのように、彼女は両手でぼくを制する。
「普通、身構えるだろうよ」
 ぼくは彼女へとそう伝える。ふっ、と彼女は笑う。余計にその行動が、ぼくを疑わせる。心が、ざらつく。するりと彼女は、ぼくへと言葉をこぼす。
 それが昨日の夜の事だった。彼女はそれから、ぼくの部屋にいる。風呂なしシャワーなしの6畳一間のアパートから、Tシャツと短パンを持ってくる。風呂に入っていない人特有の、なんとも言えない臭いは、あまりしない。コインランドリーで服を洗ってやってから(本人曰く、一張羅らしい)、銭湯へと連れて行き、今夕食を共にしている。
 いったいどこから来たのか、何しに来たのか、いくら聞いても彼女は教えてくれない。正しく言うと、はぐらかされてしまう。警察に通報するのもばからしくなって、彼女を置いておくことにした。
◆◆◆
「あー、美味しかった! ごちそうさま!」
 彼女はからからと笑いながら、夜の街を歩く。明日はアルバイトだと思いながら、家へと急ぐ。すると、彼女は足を止める。
「どうした?」
「CDショップだ」
「そうだよ」
「寄っていい?」
「好きなのか?」
「好き」
 彼女の言葉から、ぼくが離れた。気が付くと、CDショップへと入っていく。ぼくはぼんやりとその姿を追いかける。黄色い色で占められたCDショップの中は、アイドル歌手やアニソンのPVが爆音と共に流れているのが分かる。目もくれずに彼女はバンドミュージックのブースへと走っていく。ぼくはだまって追いかける。
 あの夜、彼女はライブハウスにいたのだろうか、と思う。ポンチョのワンピースも、ボロボロになっていたムートンブーツも、今となっては良く分かるけれど、まったく思い出せない。
「ねえ」彼女は振り向く。「君のCD、無いね」
「無いよ。置いてくれないんだ」
「残念だね」
 彼女は右下にうつむいた。
「なんで」
「いい曲なのに」
「昨日居たのかよ」
「居たよ。音が素敵だった」
「音?」
「うん」
 屈託のない顔で、彼女は笑う。笑顔の純度100%の、満点の笑顔だ。だからこそ、影がある。追求するのは止めようと思う。
 その時、彼女は小さな声でつぶやいた。気がした。
「時間が無いのにな」
 それは空耳か、それとも本音か。本音だとしたら、どうして時間がないのか。分からない。
◆◆◆
「まるで捨て猫みたいなやつだな」
 アツシは笑いながらぼくに話す。相も変わらず、彼女は朝から何も食べていなかったようでビールを飲み、そして安い居酒屋の飯を黙々と食べている。ぼくは相変わらず赤マルをくゆらせ、ビールと枝豆を食べる。ゴムを食べているようで、苦味さえ感じない。
「サトルもお人よしだな」
「うるさいわ」
 アツシとぼくは地元が同じ幼馴染だ。一人暮らしを始めてから、アツシは今でも堅い仕事につき、マジメに頑張っている。お互いにたまにこうして飲むような仲になったわけだが、こうして差がついているようだ。時折アツシが見せる優越感に浸る表情が、どうしても嫌いだ。お互い腐れ縁でここまで来ているが、中々どうして、マウントに立つことがお好みのようである。
 アルバイトの帰り、スマホを見るとメッセージがあって、バイト先で待っている。いつだってそうだ。こうして逃げられない状態にしてから、ぼくに自慢話を聞かせたがるようなのだ。彼女が来ていたのは、ぼくの後姿を追いかけていたのかそれとも、何かを感じ取ったからなのか。
 彼女は結局、ぼくとアツシとのご飯についてきた。アツシは話し、ぼくは赤マルを吸い、彼女は食べる。これまで欠けていたピースが一つ埋まる。なにやら世界が回りだす。ただ、唯一世界が回っている中でも、彼女はぼくとアツシという二人を遮断して、一人だけで食事を摂っているという事だけだ。何かに迫られているかのように、強迫観念に駆られているかのように。
 あれだけおしゃべりな彼女は、ご飯を食べているときだけは、無言だ。盗賊が焦って食事をしているかのようにさえ感じる。誰も取りやしないのに。
「ねえ、うちに来ない?」
 アツシは彼女に話しかけるが、彼女は無視をする。赤マルを吸い、ビールを飲みながらぼくはその姿をただ見ている。
「つれないなあ、うちに来ない?」
 彼女が見ているのは皿だけだった。
「なんとか言いなよー」
 明るく、間延びした声に聞こえるが、声には少しいら立ちが含んでいるように感じる。思うと、アツシはずっと女好きだったな、と思う。年齢を重ねるに連れて、イケていない姿を格好や髪形で化かし、今ではお堅い会社の出世頭を自称している。ナンパの一つでも断られるなど、プライドが許さないのだろう。
 彼女は、怪訝そうな顔をして、それでも箸を止めない。
「やめとけって。もてないぞ」
 赤マルを灰皿に押し付けて、ぼくはアツシにそう伝えた。ぼくもぼくで、なぜか声が怒っていた。アツシはむっとした顔でぼくを見たが、その声に驚いて、言葉を止めた。アツシは自信が無いのだろう。だから、自分が力を持つことや下に見ている人間と会話することで自我を保っている。なまじ、プライドが高いのかもしれない、と思う。
 そのままの表情で、アツシはビールを口にする。気まずい表情に、変わりはない。彼女は、箸を一瞬止めてぼくを見る。それから、また食べ始める。外を見れば、雨が降りそうになっていた。
「そろそろ行くか?」
 アツシは話を切り上げる。目くばせをすると、彼女は頷いた。アツシと別れると、そのまま彼は夜の街へと消えていった。彼も彼で、同じように傷ついているのかもしれない。そして、彼女も同じように。
「そろそろ飲み込んだらどうだ」
「私、あの人嫌い」
 彼女はぼくにそういった。ぼくもため息をつく。それから、答えた。
「俺も嫌いだよ」
 さっき食べた枝豆のかけらを、舌先で転がしていた。味は、もうない。元々、感じないものではあるけれど。
◆◆◆
 横で楽しそうに歩く彼女は、一体どこから来たのだろう?
 帰り道、いつも疑問に思う。風呂なし六畳一間の安アパートにも不平不満を言わず、何もすることも無いのにじっと彼女は待っている。家に帰ってくれば、いつでもCDショップか安い居酒屋。金が無くなれば、コンビニ弁当でも文句ひとつ言わない。深緑色のポンチョとムートンブーツを履いて、いつでもぼくをバイト先やライブハウスに迎えに来る。汚れたら洗濯をする。
 物欲もなければ、高級食材を食べたいと駄々をこねることも無い。スマートフォンすら持たないし、パソコンもいらないという。ただ、ギターを鳴らしているときに、いつでも彼女は幸せそうな顔をする。この時間が永遠に続ければ良いという顔で。彼女が眠るまで、ギターを弾いてやる。ぼくも同じ気持ちになる。
「君の歌声とギターは、本当に素敵だね」
 いつでも彼女はぼくにそう言う。けれど、彼女はそれ以上をぼくに求めない。身体も、愛情も、何も要らないと言わんばかりに。気が付くと三か月が経過していた。味覚が少しずつ戻り、気が付くと、ぼくも食事を摂るようになっていた。あれから、アツシに誘われることも無くなった。
 その夜も、彼女がライブハウスへと迎えに来てくれていた。例によって、季節に合わない格好で。だが、いつかその格好も季節が廻れば丁度良くなる。また、家まで歩く。
「もうそろそろかな」
 彼女がそう言ってつぶやくのを聞いた。その顔は、何かを覚悟している顔だった。
「何が、もうそろそろなんだ?」
「お別れ」
「なんで」
「私はね、ここにいてはいけない人なの」
「どうして」
「今まで黙っていたでしょ? それは、閉じ込められていたところから逃げてきたからなの」
「どうして閉じ込められていたんだ?」
「言えない」
「君には秘密が多いね」
「うん」彼女は目を伏せた。「私も君の事を良く知らない。ギターと歌声が素敵ってこと以外は」
「それ以上求めなかったじゃないか」
「そうよ」彼女は寂しそうな顔をした。「それが私が君を求めた理由だもの。でもね、私の存在はそれさえ求めちゃいけないの」
 彼女の眼は、涙で満ちあふれようとしている。それでも彼女は、ぼくを見る。
「素敵な声と音色だった。私にはそれだけで充分」
「どこへ行くんだ?」
「君の知らないところ」
「元居たところには帰らないのか?」
「帰りたくない」
「じゃあ」ぼくは声を強く出してしまった。なんで、こんなに。「ずっといればいいじゃないか」
「バカだなあ君は」彼女は笑った。涙を流していた。「居ることなんて、できるわけないじゃない」
 それは予測はしていたけれど、期待していない答えだった。聴きたくない答えでもあった。歩いていると、またCDショップの前へと来ていた。アツシらしい人影がぼくを見ていたけれど、今はそれどころじゃない。
「お別れだね」と彼女は寂しそうに笑った。「さようなら」
 彼女はぼくの手を振り払うと、ダッシュで店内に入っていく。ぼくはそれを追いかける。だけれど、彼女の足はとても速い。ああ、そうやって彼女は逃げたのかと思う。1階の階段を登りきると、彼女は2階の手すりに登る。手すりに足をかけて、仁王立ちしている。
 階段の踊り場で、ぼくは彼女を見上げている。周りが騒ぐ。驚きのあまり目を見開いている、と思う。彼女は覚悟を決めた目をしている。黙ってその最後を見守るしかないのか、と息を切らしながらぼくはただ黙って彼女を見るしか、方法が無かった。
(了)

そのほか作品集

■お知らせ■

LINEの公式アカウントやっているらしいです。

登録してくださった方には、更新情報などを掲載しております。

また、ご意見ご感想も承っております。出来る限り丁寧にお返事も書いていきたいと思っておりますので、是非ご登録いただければ幸いです。

こちらより登録可能です!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?