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くだらないお話

BUMP OF CHICKENの「くだらない唄」は良く、春休みに聴いていたなあと思います。この時期に聴くこの曲は実に良いものです。

未熟かもしれませんが、いつかBUMPの曲をイメージした小説を書いてみようと思っていました。それではどうぞ。

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 ナツコはとても甘党だった。いかにも女の子っぽい趣味を持っていて、好きな漫画も好きなドラマも、聴いている曲も。いわゆる平均的な女子高生とそこまで大して変わらないから、さしたる驚きでもない。だけれど、彼女がいつも通う喫茶店をぼく以外に知っている人はいないだろう。隣町の駅前、しゃれているつもりでもどこかずれている喫茶店。壁は薄いピンク色なのだけれど、どうにもどこかがずれている。
 もうお金を入れても動かないスペースインベーダーがあって、ポスターもぼくたちの世代からちょっと前のアイドルのポスターが貼ってある。全体的な趣味もどこか何世代前かの喫茶店なのだけれど、ぼくとナツコはこれが東京で流行っている物なのか、と妙に納得が行っていた。スマートフォンで調べてしまえば分かることなのに。
 と言っても、それが今の流行りと誤認していたのも無理はなかった。私たちの学校の周りには何もなくて、ネットからの情報はいつでもどこか誰かのバイアスがかかっている。それに、クラスメートが持ってくる流行りのものは大体が独断と偏見に満ちていて、あるいはイケている先輩からの価値観を丸ごと押し付けられているだけで。
 それに、遊びに行くと言ったら電車に乗って隣町に行くしかなかった。けれど、ナツコとぼくはあまりがやがやしている場所が好きではなかった。
 だから、いつも学校の帰りに一つ隣の駅近くにある喫茶店に良く行っていた。上目遣いに前髪をいじったぼくを、ナツコはただニコニコとしながら見つめて、それからパフェを食べる。
 いつも同じのを食べているよね、とぼくが聞くとナツコはこう返してきた。
「そうね。確かにいつもここのパフェを食べに来ている。私は今までで色々なパフェを食べてきたわ。けれど、ここに勝るものはないもの」
 まるで何曲も歌っている歌のようにサラリとその事実を話してしまうナツコは小声でぼくに言う。
「でも……お店のセンスだけはどうにかしてほしいけどね」
 そう話すと、ぼくとナツコはクスクスと笑いをこらえる。マスターはやることがなさそうに、夕方の報道番組を見ている。おいしそうにパフェを食べてから、ナツコは画用紙を出す。
「ねえ、アオイ。絵を描いてあげる」
 そう言ってナツコが取り出したのは、ルーズリーフの薄い紙。ぼくはルーズリーフを一切使わないから、サラッと取り出すそのナツコのしぐさがいつも羨ましかった。
 シャープペンシルを出して、サラリと描き始めるナツコの姿は、どこか美しい。ルーズリーフへと伏せた目、長いまつげ、きれいな手。
 ぼくにはこれと言って特徴がない人間だった。背も大きく無いし、ルックスだって良くはない。良くも悪くも平均点で、勉強も運動もそこそこ位しかできなくて。人に自慢できるようなものなんて一つもなかった。
 けれど、クラスからの人気を集めるナツコは違った。運動も良くできて、スタイルも良くて端正な顔立ちをしていて。しかもおしゃべりだってうまい。それなのにパフェをおいしそうに食べる彼女はどこかかわいい。
 ここに来ていることは彼女とぼくの二人だけの秘密だ。真剣に絵を描いているナツコが愛おしく思えて仕方なくなり、いつでもぼくはナツコとのこの時間が続いてくれればいいのに、と思ってしまう。だけれど、それが長く続かないこともぼくは知っている。
 お互いが知り合うのに、少しだけ時間がかかってしまった。ぼくとナツコは既に受験勉強を終えていて、もう少しで都会の大学に進学して、ぼくも隣の県の大学に進学する。
「もっと早くにお互いを知れたら良かったのにね」
 と、ナツコはぼくに笑いかける。そうだね、とぼくが返していつもぼくは寂しくなる。それは、必ず別れがあるということを暗に示している。
「できた」
「見せてよ」
「嫌よ」
「なんで」
「もっと良い絵を描いて見せたいんだもん」
 もん、じゃないよ。とぼくは笑う。笑ってから、お金を払ってぼくとナツコはお店を出る。空はどんどんと落ちてくる。
 電車を降りるのは、いつもぼくが先だ。テストもなくて、勉強も必要なくて、お互いに時間を持て余している冬休み。ただ白い息と見つめあう目がいつも二人を見つめている。片開きのドアが、最後二人を分け合って、ぼくはいつもナツコを見つめて白い息を吐く。二人でばいばい、と二回だけしてからナツコを乗せた電車は走っていく。同じ時間をもっと過ごしたいのにその時だけ、どうしても切なくなる。停めてあった自転車に跨って、家へと帰るときには、もうすぐそこに届きそうになる。上を見てから、顔にマフラーを埋めて、家へと走っていった。ぴゅう、と風が脚に当たり、また少しだけ寒さが戻ってきた。

 その日もぼくらは、いつものようにパフェを食べていた。いつも気持ちよさそうに食べては、目を細めるナツコ。彼女はいつも澄ましたようにスプーンを口に滑らせてはパフェのクリームを食べていく。作法うんぬんよりも、まるでその動きはとてつもなく綺麗で、楽しげだ。ただ、どういうわけかこの日はいつもよりもお客さんが多くて何やら店内もソワソワしていた。
「この後どうする? もう帰る?」
 ぼくがそう聞くと「んー」と言いながら窓を見る。いつものナツコなら、購買でもこんな人差し指を顎に当てるような仕草も見せないだろう。これもまた、ナツコがぼくだけに見せる秘密だった。だけれどきっと、二人はまだ一緒にいたくて、それを口に出さないだけで。結局パフェを食べてから、喫茶店をすぐに出てしまう。いつもなら、このまま電車に乗って帰るのだけれど、今日だけは少し違った。
「ねえ、歩かない?」
 ぼくは驚いてから首を縦に振った。いつもナツコはぼくをこうやって振り回してから、だけれど綺麗な目でぼくと向き合う。同い年のはずなのに、どうして同じ目をできないんだろうと思いながら、ぼくはナツコと二人で歩く。まだ空がオレンジ色で、ちょっとだけ頑張って歩けば夜にならずに済むと思いながら。
 また、ぴゅうと風が吹いてぼくのマフラーをなびかせる。二人ともコートを着ているのに、隙間風を強く感じて。格好なんてつけていないでジャージを穿いてくれば良かったなんて、ふと思った。それなのに、ナツコは一つも寒そうにしないで楽しそうに笑いながら話している。空が落ちてくる。薄い青色に染まり始めたころ、ぼくは口を開く。
「きっとナツコは、向こうに行ってもたくさん友達を作るんだろうね」
 ナツコが行く大学の話をしているときに、ぼくの口からこぼれた言葉だ。羨ましい。そう思いながら。
「どうして?」
「ぼくはナツコのようにおしゃべりはうまく無いし、勉強もできない。どんくさいし、ギターも弾けない。足だって速くないし人気もない」
「だから?」
「ナツコの話を聞いていると、いつも素敵だなって思う」
「それがたくさん友達を作ると関係あるのかな?」
「きっと、ぼくよりもナツコにはたくさんの人がくるんだろうなあって」
 ちょっとだけ嫌味っぽく、だけれど嫉妬しないように。ぼくはナツコに言葉をこぼす。その言葉をナツコはゆっくりと横に首を振りながら、否定した。
「アオイは馬鹿だなあ」と笑いながら。「アオイは、君の中にある魅力にまだ気が付けていないだけだよ」
「どんな魅力があるっていうの」
「うーん」
「言えないんじゃない」
「それは自分で見つけた方が良いと思うよ」
「そうやって逃げて」
「逃げてないよ。でも答えを教えても分かんないと思う」
「だって分かんないから悩んでいるんだもん」
 ナツコがくすっと笑う。少しだけむっとして、下唇をぼくは出す。
「そんな怒らないで」
「分かんないから教えてほしいのに」
 ちょっとだけ声が強くなった。どうしてだろう。学校でも家でも、こんなに声が大きくなることは無いのに。ナツコの前だけではどうしてこんなに感情的になってしまうんだろう。
「きっとあなたは私よりもこれからうんと色んな人から愛される。自分が気が付いていないだけでね。だけれど、その魅力に気が付くまでにはきっと色んな経験をしないとダメなのよ。でも、それは悪いことじゃない。むしろ遠回りをして初めて手にできる物なのよ」
「そんな長くまで待っていられないよ」
「そうかもしれない。だけれど、これだけは言える。アオイは、とても素敵な人だってこと。私にとってもね」
 ナツコは泣いていた。ずるい。どうしてそんなにナツコはぼくの持っていない物ばかり持っているの? 叫びたくなるのに、言葉を失う。
 その目はとても綺麗で全く濁っていない綺麗な目。それが夕暮れにとても映えて、オレンジから紫に変わる空を綺麗に映し出す。綺麗な姿をしている。触れたら壊れてしまいそうなほどに。それから、言葉がこぼれる。
「私にこそ、何もないんだもの」
隣の駅に着く。もう少しで電車がやってくる。ぼくは呆然として彼女を見送るしか無くて、片開きの扉越しにバイバイとするしかないまま、電車はいなくなっていく。年を越して、何日かしたら。もうナツコと会うこともなくなるのに、ぼくはナツコを泣かせてしまった。その夜、ぼくは初めてお酒を飲んだ。それは彼女とぼくはもう別れの時が来ているという一つのサイン。お互いがお互いに住むところや共にする相手が違うという何よりの証。ぼくとナツコはいつまでも、これからも一緒にはいられない。
 それなのに、ぼくはナツコに「行かないで」と心から思ってしまう。今が続いてほしい、できるなら時が止まってほしい。ぼくは自分のベッドの中に身を埋めながら、悶々として考えている。だけれどもう、時間は決して止まらない。その時はもうすぐ来てしまうことをぼくもナツコも分かっている。理不尽な物にはどうしても抗いたくて、ぼくは震えながら迫る朝をただ迎えようとしている。
 けれど、どうにも朝が迫って来ているのに。ぼくの体は起きるのを拒んでいた。世界がぐるりと回り、気分が悪い。どうにも二日酔いになってしまったようだった。運が良かった、と思う。今日は日曜日で学校も休みだ。ゆっくりと眠っていれば、きっと誰にもばれない。ナツコにも。ママにばれないようにお酒の缶だけ隠しておこう。それから一回だけお手洗いに行こう。缶を隠すように学校のカバンの中に入れて、お手洗いで一回低い声で吐く。
 ママから大丈夫? という声が聞こえて、風邪を引いたみたいだから、寝ているね。と返す。具合が悪いのは事実だから、しょうがないだろう。それからベッドに身を埋めながら、夢を見た。ナツコが出てきた。
 だけれどナツコはぼくの知らない人と笑顔になっていて、ぼくにそうするように笑顔で晴れやかに会話していた。そう、ぼくとナツコはお互いにそもそも住む世界が違うんだ。だから、いつかはぼくもナツコから離れなければいけないんだ。分かっている。なのに、心はそれを分かっているようで分かっていなかった。まるで受け入れることも、受け止めることも拒んでいるようで。
 だけど、きっと大丈夫。明日になればまた、ナツコと一緒にいることができる。制服が目に入った。大丈夫、明日になれば。
 そう思いながら眠りについていると、ママがコツコツと二回、部屋のドアを叩いた。
「アオイ、お客さんよ。ナツコちゃん!」
 え、と思ってぼくは目を開ける。もう、空はすっかり夕方になっていた。目から涙がこぼれているのが分かって、きっとぼくはひどい顔をしている。それもあるんだけれど、混乱していた。なんでナツコがぼくの家に? どうして? 頭を駆け巡る。
「寝ているのかしら。どうぞ入って」
「ありがとうございます。お邪魔します」
 するんとした明るい声は、ナツコの声だった。酷い顔を見せたくないと思う。いつだって、ぼくがナツコに見せたいのは……。
「具合はどう?」
 そこにはいつものナツコが居た。はい、ポカリと言って渡してくれるナツコの優しさが、今は恥ずかしい。それから、続ける。
「昨日はごめんね」
「何が?」
「感情的になりすぎちゃった」
「別にケンカしたわけじゃないのに」
「ううん」ナツコは首を振る。「だけど、あなたを傷つけたから」
 ナツコは本当は繊細で、とても優しい。ぼくが、一番わかっているはずなのに。なぜだか、また涙が出て来そうになる。
「泣いていたの?」
 顔をうつむいた瞬間に、ナツコがぼくにそう問いかける。
「うん」
「なんで?」
「分からない。ぼくも、分からないんだ」
 ナツコは微笑む。
「良いじゃない。それでいいのよ」
 昨日の私とおんなじね。小さくナツコが上を向きながら話す。それからナツコが窓を開ける。冷たい風がぴゅう、と入ってくる。後ろ姿でさえもきれいな彼女はどこか苦し気で、ぼくも苦しくなって。
「なんで泣いていたの?」
 また、ナツコが訊く。意地悪だなあと思いながら、ぼくは言葉を紡ぐ。
「夢を見たんだ」
「どんな?」
「ナツコが知らない人と笑顔で、楽しそうに話している夢。ぼくはその中に入れなくて、ずっと苦しい夢」
「私も意地悪ね」
「本当だよ」
「でもね、私も同じような夢を見たの。あなたが素敵な人と一緒にいる夢。どうしてだろう、こんな気持ち初めてだった」
 行かないで。そう思っていたのは、ナツコも同じだった。けれど、ぼくたちに残されている時間はそれほどない。
「もっと早くに出会えていれば良かったんだよ」
「それも運命だから」
「でも、ナツコのこと忘れたくない」
「私もそれは同じ」
「じゃあ」
 ぼくが言葉をこぼそうとしたとき、ナツコは指で口をふさいだ。それから、二回首を横に振る。それ以上は言っちゃダメと言わんばかりに。顔を覆って泣きそうになった。ナツコがスンとしているのに、ぼくだけ泣きそうになる。
 がさり、と動くものがあった。それは一枚の絵。
「あの時の絵、アオイにあげる」
 それはあの時に描いてもらった絵。つまらなさそうな顔をしてコーヒーを飲んでいるぼくの顔。目が大きくて、なんかキラキラしている背景になって、苦笑いしてしまう。
「少女漫画の読みすぎ」
 そう言うと、ナツコはむうと膨れる。だから、ぼくはナツコの頬に触れる。こんなにかわいらしい子がいるんだろうか。思わずドキリとしてしまう。
「でもありがとう、うれしいよ」
 おでことおでこをくっつける。向き合う。二人の距離が近い。胸が当たる。息遣いが聴こえる。顔が赤い。ぼくも赤い。風邪を引いているわけではないのに。おでこをつける。それから一回だけ唇で、ナツコの唇に触った。
 二人の顔が赤い。それから二人は無言になってしまった。グンと、空の色が暗くなったのを最後にナツコは帰った。

 ナツコとはそれから二回喫茶店に行き、それっきりになった。

 それからずいぶんと時間が経ったのだけれど、ナツコとは一度も連絡を取っていない。ナツコの住んでいる東京は、地元の町から一番遠い場所にある。いつも使っていた電車もなくなって、いよいよナツコは帰る理由もなくなってしまった。
 あれからぼくも色々と大きく変わった。金髪のショートカット、左耳には小さなピアス。左手の親指にはサムリング。首には羽のボディペイント。大学に行ってから、ぼくは色々と大きく変わった。誰にも見られていないところでは、自分はこんなに楽しく生きることができるんだ。それが分かった時、初めていろんな人がぼくを見てくれるようになった。高校の時に、何もなかったぼくは、もういない。
 ナツコは知っていたんだね。それを伝えたいのに、連絡を取る手段さえ無くて。ねえ、ぼくは今、夢を持っているんだよ。その夢を教えてくれたわけじゃないけれど、期待してくれたのはナツコだけだったんだよ。今、どこにいるの?
 いつも、廃駅になってしまったあの隣の駅の横を通るたびに、あの喫茶店を思い出してしまう。いるわけないのに、覗き込んでしまう。マスターはいつものように退屈そうにワイドショーを見ていて、ガランとした暗がりの中には誰もいない。ため息をついて笑顔を作る。前髪を気にする仕草をしながら、家に帰ろう。そう思う。
 その時、一瞬だけ携帯電話が震えた。出ようとしても、すぐにそこで切れてしまったけれど。誰なのかさえ分からないアカウントには、クールにコーヒーを飲んでいる女の子の写真。こんなにぼくは格好良くないだろう。やっぱり、少女漫画の読みすぎだ。小さく、笑う。
 きっとナツコだ。一瞬思い、連絡するのは止めた。会って、たくさん話したいことあるのにな。ぼくはつぶやく。空は、オレンジ色から夜空に変わり始めていた。
(了)

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