見出し画像

先生、死なないでね②


(①の続きです)

先生から電話をもらったのはちょうど正午。
この後、学校から帰宅後の娘を習い事に連れて行って、そのまま新幹線で東京という流れだった。その時点でなんの準備もしてなかった。

先生はしきりに「カラオケ」「カラオケ」と言う。
私は、もうよくわからないまま「わかった、今から行くから待ってて」と電話を切った。

キッチンで目についた海老煎餅をお土産にしようと手にしたが、いや、もう固くて食べれないかもしれないと、カステラに変更。
頭の中で、先生はもうダメなのかもしれない、と押し寄せてくる考えに胸が締めつけられながら、とにかく急いで準備した。

今日先生に会いに行くという決断ができたのも、自宅から先生の家が車で15分ほどの距離だからだ。こんなに近かったのなら、今日じゃなくてもゆっくり会いに行けたのに、と振り返るのもなんか違う気がして、車を飛ばした。

「こんにちは!」
と先生の家のピンポンを鳴らして、玄関を開けた。中から、そっと引き戸が開き、先生のご主人がそっと出てきた。

「ごめんね、電話したんでしょ」
「はい、もうびっくりして」
「先生どうですか」
「それが、ここ数週間、精神症状が出てきちゃって」
「あ」
「みんなに電話かけまくってて。とにかく中へ」

なるほど。
そういうことだったのか。先生はひとまず大丈夫らしい。
でも、精神症状とは悲しかった。

先生は『若年性パーキンソン病』という病気で、私が高校生の時から薬を飲んでいた。その当時は、元気な若い先生が毎日欠かさず薬を飲む姿を不思議に思っていた。「先生、何歳?」と聞くと、「20歳」としか返ってこなくて、先生の年齢なんてずっと知らなかった。

今は腰も90度に曲がり、四肢が硬直している姿。病気の特徴として、薬を飲まないと、完全に体と反応がフリーズしてしまう。私が到着した時にはその直前で、声もほとんど聞き取れず、コミュニケーションは難しかった。

ご主人がそろそろ薬にしようかと言った。胃瘻からシリンジを使っての内服だが、(腹部の穴から直接胃に液体を注入できるようになっている)最近は精神症状のために、ご主人でさえ「毒を入れたんじゃない?」と言うらしい。昨日はたまたまいた訪問看護師に手伝ってもらった、と苦笑しながら教えてくれた。その時も私がいたので、スムーズに薬が入れられた。ここから15分ほど沈黙、または私のひとり雑談となる。

「先生、びっくりしたよ。珍しいやん、電話くれるなんて。しかもカラオケって!先生、カラオケ好きやったけ?」
その時、別の部屋にいたご主人が「好きなんよ、今はYouTubeで谷村新司とかかぐや姫とか検索して歌ってて」
「へーーそうなん!じゃあ一曲歌って!」と目の前のTVでYouTubeをつけた。

私も知っている「あなたは〜もう〜忘れたかしら〜」というかぐや姫の物悲しい曲が流れ始めた。最初は私が歌っていたが、徐々に薬の効果が現れ始めた先生が、リモコンをとって、これじゃないと変えようとした。
「先生、何がいいの?」と聞くと、トトロと返事があった。先生は昔からトトロが大好きだった。ベッド横の棚にはトトロのぬいぐるみやねこバスなどのグッズがずらり。それを眺めていると「息子が買ってくれた」と話してくれた。「こないだ散歩も連れてってくれた」と。先生と段々話ができるようになってきた。

「息子くん、優しいよね」私が言うと、東京で仕事してたが、数年前に京都に帰ってきた話、パートナーと障がい者の作業所で作った商品を売るサービスをしている話をしてくれた。先生にとって自慢の息子の話は楽しそうだった。私も先生の息子さん2人を小学生の時から知っている。シャイな2人ではあったが、高校生のお姉さん(私)を家に迎え入れてくれた恩人でもある。

少し沈黙があった。ふと先生を見ると泣いていた。感情のコントロールがうまくいかないのかな、と看護師風に考えながら「先生、どうした?」って静かに聞いみた。

「やり直したい、もう一度やり直したい」泣きながら先生が声を絞り出た。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?