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スマトラ島の温泉をめぐる旅 1日目 アチェを訪ねる

アチェはスマトラ島の北端にあり、マラッカ海峡はここから始まる。
今も昔もマラッカ海峡は多くの船が行き交う交通の要所で、アチェ王国は交易の地として特に胡椒貿易を支配し栄えていた。

アチェを少し東にいった場所にあるサムドラ・パサイ王国は、東南アジアで最初のイスラム王国と言われている。そのあと栄えたアチェ王国もイスラム王国で、敬虔なイスラム教徒の地域だ。インドネシアのイスラム研究の中心地としての地位を今も保っている。

自治権も与えられていて、イスラム法の運用とイスラム法廷が認められている。イスラム教徒はイスラム法のもとイスラム法廷で裁かれる。パンチャシラで信仰の自由をうたっているインドネシアではここアチェ州だけに認められている。

アチェは伝統的に独立心が強く、常に独立運動をおこしてきた誇り高い戦士の国。オランダに対し最後まで抵抗を続け数万人の死者、莫大な戦争費用をかけさせている。
日本軍に対しても当然抵抗している。
日本敗戦後もオランダ・イギリス連合に抵抗し、オランダは手を出せなかった。
インドネシアが独立を果たすと中央政府に抵抗し、自由アチェ運動(GAM)による武装闘争が続いた。
武装闘争は2004年のスマトラ島沖地震の被害をきっかけに終了。2005年には武装解除、2006年にはアチェ統治法を制定し、自治権が認められた。
こうして自由に旅行ができるようになったのは2005年からだ。

わたしのアチェの印象は、強烈なイスラム教徒、独立運動、インドネシアの端、といった特別な異国情緒を感じる場所だった。酒は絶対に飲んではいけない、むち打ち刑になるぞとか、危ない都市伝説みたいな話も当時はよく聞いた。

憧れの地だったので興奮して前置きが長くなってしまった。


アチェまで

ジャカルタとバンダアチェを直行便で結ぶペリタエアという航空会社に初めて乗る。


国営石油会社プルタミナの子会社でチャーター便メインだったのが、最近定期便も飛ばすようになった。ガルーダ航空が資金繰りに窮し倒産しかけた時は、ペリタ社による救済合併も検討されたらしい。フラッグシップになる可能性もあったわけだ。
飛行機はジャカルタのスカルノハッタ空港を10:50に出発し、定刻通り13:30にアチェのイスカンダールムダ空港に到着した。朝6:00にバンドンの寮を出てからあっけないほどあっという間だった。

アチェは暑い。モスクをイメージした空港の建物が暑さを倍増させる。

そして、腰痛になってしまった。
4日間ずっと椅子に座りっぱなしで集中して試験のレポートを仕上げていたからだろうか。
ギックリ腰にはなっていないので、労わりながら旅をしていくしかない。

アチェを観光する

今日の宿はLala Hostelという1泊1000円の安宿にした。ホストの人柄はかなりよく、そのせいか居心地がとても良さそうだ。
ゴジェックを呼んでまず向かったのは津波博物館。

(1)アチェ津波博物館

ここは絶対に行かないといけないと思っていた場所だ。
遠く離れた場所で起きた地震だけど、当時ジャカルタに住んでいたので身近に感じた。スタッフにアチェ出身者がいたというのもある。

ミュージアム外観

どことなくモスクっぽい雰囲気がある建物だ。
中に入ると最初の展示は津波の体験。左右から津波が襲いかかってきたのをイメージしたと書いてあり、両側の高い壁から水が流れる暗いスロープを濡れながら進んでいく。

地面は濡れ滑る

暗い道を抜けると真っ暗な部屋にディスプレイがぽつぽつあり、被災直後の写真を見る。
津波で破壊された街並みは地面が足の踏み場もないほど流されてきたもので埋まっている。この部屋も意図的に段差をつけて歩きにくくしているのだろう、とわたしには思えた。

東日本大震災で一本だけ残った松の木のような写真があった。

たぶんこの部屋のあとだったと思うが、通路の左側に丸い部屋があり、壁一面が亡くなられた方々の名前で埋め尽くされている。それがずっと上のエントツまで円を描きながら続いているのは、無機質で寒々としており、死者を弔うというより恐怖が先に来た。耳なし芳一の体一面にお経が書かれているような一種異様な感じといえばよいだろうか。
しかし、エントツの穴の光を見上げながらしばらくたたずんでいると、次第に彼らの魂が天に登っていくように感じた。安らかにおやすみください。

展示物といえば、わたしは地震の科学的な説明や数字を使った被害の程度を説明する場所があるだろうと思っていたが、なかった。それらしい映像が断片的に流れる部屋があるだけだ。
ここはそういう場所ではないのだろう。左脳的な理屈ではなく、ただ何かを感じてほしいという意図を感じた。

廊下に飾ってあった写真の中に、「学校に行くよ!」というプラカードがあった。インドネシアで空前の大ヒットとなった「ラスカル・プランギ(邦題:虹の少年たち)」の作者がこの本を書いたきっかけが、アチェのボランティアをしているときにこのポスターを見たことだ、と本の解説に書いてあったのを思い出した。
青空教室で子供たちが元気に勉強している写真もある。
貧しかったけれど心は充実していた子供時代を思い出したのだ。わたしも子供達の写真から希望を感じた。

Ayoはインドネシア語でLet’sの意味

(2)アチェ博物館

残念なことに行ったら閉館していた。外だけでも見応えはある。

ここは昔王宮があった場所なんだろうと勝手に思いを巡らしてみる。川がお濠の役割を果たしているようだ。

アチェ王国の前にこの辺りを支配していたサムドラ・パサイ王国は、立地の良さもあって交易で栄えていた。マルコポーロが5ヶ月滞在したとか、明の鄭和が5回も来航したとか記録が残されている。
鄭和が送ったという鐘がこの写真の鐘。

鐘をここに置いたのはイスカンダル・ムダと解説してある。

そしてここには歴代の王の墓がある。ヌサトゥンガラでも同じだったのだが、住居の敷地にお墓を作る風習があるようだ。
死というものがここでは不吉なものではなかったのかもしれない。

そして数あるお墓の中でも嘘くさいほど新しく立派なのがイスカンダル・ムダのお墓。

イスカンダル・ムダはアチェを代表する英雄で、その名は空港や大学にも使われている。
彼は12代目の直系の王で、「若きアレクサンダー」という意味の名を持つ。イスカンダルはペルシャ語でアレクサンダーという意味になる。彼の武力討伐によりアチェ王国はマレー半島にまで勢力を伸ばし最大の領土となった。
彼の軍隊の特徴は1000頭以上の象部隊を持ち、銃も1000梃あったという。当時無敵を誇った。

彼が国民的英雄となったのは、マラッカにいるポルトガルを数百隻の船団で包囲攻撃したためだ。アチェ王国は胡椒貿易の支配をめぐりマラッカのポルトガルと対立していた。
インドネシアの歴史上、理不尽なヨーロッパ諸国に支配されゲリラ的に戦うことはあっても、大軍を率いて互角以上に攻め込んだのは画期的だ。

彼の死後、内輪揉めもあり王国は急速に力を失っていく。

ここにはHistory Cafeという名のカフェもある。昔の王族たちの生活を思い浮かべながらアイスラテを味わった。

(3)偉大なるバイトゥラフマンモスク

黒い屋根と白壁のコントラストがとても美しいアチェを代表するモスク。
Masjid Raya Baiturrahman。Rayaは偉大なとか大いなるという意味。インドネシア国歌「インドネシア・ラヤ」と同じ。

津波被害にも耐えた。
津波博物館で見た写真を載せておく。

ここは裸足で入らないといけないのに気づかずしばらく靴を履いていた。地元のみなさん申し訳ない。
皆さんもお気をつけあれ。

(4)アチェ料理を楽しむ

Mie Aceh Razali
ミーアチェの名店で、ジョコ大統領も来たことがある。下は店に飾ってある写真

左側に座っている白シャツが大統領

ミーアチェは日本風に訳せば、海鮮焼きそばになる。わたしはエビとカニで迷い、結局カニにした。
ちょっと辛いが最高の味だった。

次はエビにしよう。あと2回は食べたい。

でも普通の麺でもいいかもしれない。
というのは、わたしが調理を観察したところ、わたしの蟹を使って10人前の焼きそばを一気に作り、そこからカニをつまみ出すとわたしの皿に置いたのだ。
つまり、他のみなさんの焼きそばにもわたしのカニの美味しいエキスは入っていて、普通の焼きそばと言いながらカニなしのカニ焼きそばでもあるのだ。

Nasi Gorend Daus

すっかり満足して店の外に出ると、横の店が良さそうだ。
馬鹿でかいフライパンでチャーハンを作っていて、看板を見ると「Nasi Goreng khas Aceh:アチェ風チャーハン」と書いてある。Since 1970なのでわたしの生まれる前からやっている店だ。
ミーアチェの量が少なかったのでまだお腹に入りそうだと思い、チャーハンを頼んだ。

ミーアチェと同じオレンジ色をしており、かつ魚介の風味のチャーハンだった。
うまい。ご当地チャーハンは初めての経験。

この店ではアチェ名物の「逆さコーヒー」も頼んでみた。

飲み方は聞かないとわからないだろう。
黒いストローで、コップと皿の接点の縁に空気を送り込む。
すると、コップの中に空気が入りコップの中のコーヒーが外にじんわりとシミ出てくる。
正直なところ、ただストローでぶくぶくさせているだけで、勝手にコップの中に空気が入っていくようなのだ。なので何のテクニックやコツもいらない。
出てきたコーヒーをストローで吸い、また空気を送り込んで、を繰り返し、最後コップの中のコーヒーが無くなって終わり。

お店の紹介

(1) Mie Aceh Razali 
Address: Jl. T. Panglima Polem No.81 82Peunayong, Peunayong, Kusalam, Kota Banda Aceh, Aceh 23121
HoursOpen ⋅ Closes 11.00 pm
Phone: 0813-6199-0991

(2) Nasi Goreng Daus
Address: Jl. T. Panglima Polem No.87-89, Peunayong, Kec. Kuta Alam, Kota Banda Aceh, Aceh 24415
HoursOpen ⋅ Closes 1.00 am
Phone: 0811-681-970

Khasは特有のとか特別ないみたいな意味で、アチェ特有のチャーハン、意訳で「アチェ風チャーハン」

明日はインドネシアの最西端、サバンのあるウェー島へ渡る。
8時の船に乗ろうと思うので早く寝ます。

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