この夏に観たい映画 「恋する惑星」リバイバル上映が決定
9月なので微妙に夏ではないですが、わたしがもし日本にいれば見たであろう映画がウォン・カーウァイ監督の出世作、「恋する惑星」です。
恋する惑星は1995年7月に上映されました。わたしは約30年前に見たことになります。
学生時代に中国にはまっていたわたしは、当然映画や本も中国にはまっていました。「紅いコーリャン」のチャン・イーモウ、「悲情城市」のホウ・シャオシェンといった有名監督の作品をビデオや映画館で鑑賞していたため、そのつながりで「恋する惑星」も見に行ったというわけです。
香港映画ならば見とくかといった感じです。たぶんそうだったと思います。当時話題になっていたかもしれない。よく覚えていません。
映画の中身については、このNoteでは触れないでおきます。とにかく、当時のおしゃれ人の最先端を行っていた映画で、これが香港で作られたというのが衝撃的でした。
この手の創造性、発信力は、日本が断トツにリードしていた時代です。
それと、金城武がこの作品でデビューしてます。金城武はわたしの大学時代の後輩と台北日本人学校で同級生です。「出た、あまりに遠くもはや無関係なつながり自慢」と突っ込んでいただいて構いません。わたしは勝手に親近感を持っていました。
わたしが今まで見たなかで一番の男前です。中学生のときからカッコよかったらしいです。
1995年は香港が中国に返還される直前だった!
そして、この映画が上映された1995年といえば、みなさんもうお忘れかもしれませんが、香港がイギリスから中国に返還される1997年を控え、かなりの混乱に陥っていた頃です。
ちなみに、中国法ゼミだったわたしのゼミ論は、香港の1国2制度(香港は中国になるが、イギリス時代の制度を残す)の法的な仕組みです。
大量の香港人がカナダやオーストラリアに移民として去り、不動産は暴落、香港は終わったかもしれないと言われていた時代です。
そのとき香港の未来を信じ、ひたすら不動産を仕込み続けたのがリー・カーシン率いる長江実業グループ(今のハチソン・ワンポワグループ)。これで不動産王の地位を確立しました。
中国側では返還期待が高まり、アイ・ジンの「わたしの1997(我的1997)」が大ヒット。歌詞には今は倒産してなくなってしまったヤオハン(八百伴)が憧れの存在として出てきます。
ヤオハンといえば、ご存じの方もいらっしゃるかもしれないですが、あの「おしん」のモデルの一人と言われている和田カツさんが創業した会社です。
アメリカ西海岸にお住まいの方であれば誰もがお世話になる「Mitsuwaミツワ」は、ヤオハン倒産時に現地法人の経営陣がMBOして独立したもので、もとヤオハンです。
このビデオを見ると、わたしが中国を放浪したときの景色が出てきて懐かしいです。今から30年前の中国の人々の服装の地味さ、貧しさが分かると思います。
1995年あたりは、本当に返還されるんだなという実感がじわじわと湧いてきていて、わたしは1997年にぎりぎり返還前の香港を訪問しました。
この映画の原題「重慶森林」にもなっている、前半の舞台チョンキンマンション(重慶大廈)も見学に行きました。さすがに泊まらなかったです。わたしの母は旅慣れた友人と一緒に泊っています。母に負けました。
まあ危険なことをよく知らずに泊まっていたみたいですけどね。
返還前の香港はきわめて普通で、何事もなく返還の日を迎えそうな雰囲気を感じました。歴史的瞬間を目にしてやろうと意気込んでいただけに拍子抜けでした。
庶民のしぶとさ、ずぶとさです。
映画の記憶は、中身だけにとどまらないところがいいですね。当時の空気感、出来事までいっしょに思い出されます。
特に映画の主題歌となった、主演女優でもあるフェイ・ウォンの「夢中人」(
The Cranberriesの代表曲「Dreams」のカバー)が効果大です。
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