詩について あるいは言語表現の極致

 令和6年度の教育活動が始まるので、教科名を書いたカードをラミネータにかけたり、そのラミネートされたカードの角を丸めたり、朝の会と帰りの会の司会原稿を作ったりはせずに、せっせと授業のことを考えています。時折それ以外の仕事が生えてきたり、最初から生えているのを忘れていたりするので、そっちも片付けながら。

 国語の授業を構想しています。
 4月、早い段階で詩の授業が計画されています。教科書会社にもよるところですが、これは「文字や言葉による表現の先端を目指していった先にあるのが詩による表現だから」ということになろうかと思います。年度のはじめに、そのような言語表現の極北とも言える詩に触れる目的は「国語は言葉を扱う教科です。何気なく読んで聞いて話して書いている、時に流している言葉について、改めて捉え直しましょう。」という宣言でしょう。たった数行の詩でも、きっとあなたの心に何かを訴えてくるのです、と。
 短歌や俳句では短すぎて別の技能や背景知識が要求されますし、物語や随筆、評論文では長さゆえに多様な文脈が発生し、多様な読み方が出現します。詩の一般的な文量というのは、言葉が隠しもつ輝き、煌めきを探って潜って、などをするにはちょうどいい塩梅、なのかも知れません。

 そういうわけで、詩の授業を構想しているところです。
 昨年度と同じ学校に勤務することは3月末の新聞発表で明らかになっているのですが、担任発表はまだなので何年生なのかは現段階では明かせません。来週にはこの授業について報告できると思います。
 今のところ、

  1. 詩を音読する(様々な読ませ方、特に読む順番や形態についてはいろいろあるので考え中です)

  2. 詩から感じ取れる主題を自分なりに捉える、あるいは事前に提示したいくつかの候補から選ぶ

  3. その主題を踏まえた上で、特に重要だと感じた表現を選ぶ

  4. 選んだ表現を交流し、学習を振り返り、評価する

 という、ざっくり以上のようなステップを踏みながら(要所で細かく踏んでいく必要はあると考えています)、詩に綴られた言葉に潜む輝く言語表現を探っていこうとしています。ほんまにうまくいくんか。
 ただ、最初の国語授業の1時間でどうにかなるような話では当然ないと思っていますから、まずここに投錨しよう、くらいの構えでいます。
 「主題」という用語の使い方の正誤については意図的に無視していますが、こんなところかなあ、と思っています。

 少しずつ授業構想にかける時間を圧迫されながら、4月8日の始業式を待っているところです。