教養としての書道
お陰様で2023年12月6日に出版となってから1ヶ月が過ぎ、出版後即重版出来することにもなりまして、多くの方に手に取って読んでいただけていることを心より感謝しております。
教養としての書道(自由国民社)
amazon.co.jp/dp/4426129435
そもそも、この「教養としての書道」という重厚なタイトルの書籍がどのようにして誕生したのかは書籍を読んでいただけるとご理解いただけるのですが、改めて
なぜ書道が教養なのか?
についてお話ししたいと思います。
なぜ書道が教養なの?
そもそも教養とは?などという定義付けから始めることはまた別の機会にするとして、書道の一側面として教養という捉え方があるということをご理解いただければと思います。
とはいえ、個人的に教養をどう捉えているかをお伝えすると
1.社会生活を営む上で常識的な知識という意味(一般教養などがそうですね。)
2.それによって培われる人間性や人格(あの人は教養があふれる人だ〜みたいな知識だけでなくて滲み出ているようなものです。)
の2つがあるように思います。
今回、「教養としての書道」は、
1.書道の知識を得ていただくことで
2.人間性や人格を形成していく上で書道はいいかも!
と思っていただければ。という念いが根底に流れています。
つまり、
知る→興味が出る→体験してみる→人間性や人格の形成→豊な人生
という流れが出来ればと思った次第です。
サブタイトル「世界のビジネスエリートを唸らせる」が意味するところ
そして、この書籍はサブタイトルに「世界のビジネスエリートを唸らせる」とある通り、ビジネスパーソンに向けたメッセージだったりします。(もちろん、ビジネスパーソンにだけ読んでいただきたい本ではないのですが(笑))
実際に書店を巡ると、ビジネスコーナーもしくは書道コーナーにこの本は並んでいます。
本当にビジネスエリートが唸っているかどうかはさておき、少なくともエリートであってもなくても、17年間ビジネス界隈にいた私には、そもそも書道のことを知っているビジネスパーソンが少ないことをよく知っています。
そんなビジネスパーソンの方がこの本を手に取るとこう言われます。
「知っていることはほんの1割ぐらいしかなかった。」
決められた虚しさ
ビジネス界にいると絶えず数字と隣り合わせだったり、目標に向かってひたすら走り続けなければならず、ふと振り返ったときに虚しさを感じてしまうこともしばしば。
そんな孤独なビジネスパーソンをたくさん見てきました。
もちろん、自分の意思で日々ビジネスの荒波を乗り越え、かき分けて進んでいる猛者もいますが、結局のところその企業の中でのポジションを上げていくことや取りに行くこと、そして与えられた役割を全うすることで自分自身の存在意義や存在価値を見出すことを他のビジネスパーソンと同様に私も必死になって行なっていました。
しかし、それらの行為には多かれ少なかれ虚しさが伴うものだったのです。
事柄は変わったとしてもこなさなければならない業務や解決しなければならない課題が絶えず滞在していました。やっつけてもやっつけても次から次へとトップから落ちてくるタスクの数々。
達成しても達成してもまた来月ものしかかってくる数字目標やプレッシャー。
定年退職までこれを繰り返していくことに自分の人生の時間を費やすことになるのでは?と疑問に思った瞬間、人は何かしら別の人生を歩みたくなるものです。
とはいえ、家族や将来のことを考えたときに仕事を辞めるという選択はすぐさまかき消されてしまいます。(もちろん、そうでない方もたくさんお見えになります。)
この逃げることのできない決められた虚しさと向き合う上でオススメしたいのが書道なのです。
なぜビジネスパーソンには虚しさが伴うのだろうか?
私が企業にいた時に絶えず意識をしたのは、結果と評価でした。結果を出すことで評価をされるのですから結果を出すことにこだわるのは当たり前。
結果を出せば自分の評価だけでなく、メンバーや組織の評価につながっていったわけです。
ですが、当然うまく結果が出ない時もあります。うまくいかない時に色々とあがいてはみたものの、好転する時もあれば結局変わらない時もありました。
時には組織の論理などという理不尽な理由で虐げられてしまうこともありました。
ウマが合わない上司の部下になってしまった時は評価がボロボロになったことも。
この会社に帰属している間に起こりうる『繰り返される日常』と自分だけではどうすることもできない『変え難い仕組み』という2つの事象に決められた虚しさが伴うのだと思います。
それは環境に起因していたり、人に起因していたり、もちろん自分がその起点になっていることも十分にありえます。
いずれにせよこの決められた虚しさを完全に払拭することは環境を変えない限り難しいでしょう。
では、払拭できないのであればどうするのか?
その答えは「リセット」です。
繰り返される変えられない環境の中で自分を「リセット」すること。
そんな時、私にとって最適だったのは幼少期より慣れ親しんでいた「書道」だったわけです。
虚しさを「リセット」するための「書道」
そもそも虚しさをリセットするためにはどのような状態になれば良いでしょうか?
それは「フロー状態」になることです。
「フロー状態」とは米国クレアモント大学の心理学研究者であるミハイ・チクセントミハイ(Mihaly Csikszentmihalyi)が提唱した「フロー理論」における「フロー(Flow)」という心理状態を指します。
「フロー状態」とは、「時を忘れるくらい、完全に集中して対象に入り込んでいる精神的な状態」です。
私にとって黙々と書を書くことは、まさにこのフロー状態に入り、さらにその先にある「ゾーン」に入ることでした。
書を書くことで虚しさということをすっかり忘れてしまう自分がいつもそこにはいました。
もちろん、フロー状態に入るのは書道でなくても人それぞれ多様でその人にとって最適なツールがあるはずです。
もし、何も無いようであれば「書道」をおススメいたします。
その理由は3つ。
それは、
1.誰もが必ず一度は経験したことがあるツールであること
2.墨には香料が入っていてリラックス効果が期待されること
3.道具を出す→書く→片付ける という一連の所作を行うことで非日常が体感できること
です。
1.は必ず小学生の頃には自分の書道道具を持ち、学校での教育課程で必ず授業で書に触れる機会がありました。あなたにはすでに経験値があるのです。経験値があるということは行動に対して想像がつくわけですから導入しやすいですよね。
2.は龍脳や樟脳といった香料(香りとしてはタンスに入れる防虫剤の匂いに近いもの)が古来より使用されており、墨の香りとして幼い頃に嗅いだことのある匂いとして懐かしさや安心感などが醸成されます。
3.の所作は何かしら始める前の準備と後片付けが必要なため、この所作によって日常から離れること=フロー状態になる準備=日常からのリセットができるわけです。
この非日常性を体感する上で、書道の準備には特有の面倒臭さが介在します。
書道の準備には
道具を出す→墨を磨る→筆で書く→筆を洗う→道具を片付ける
いかがでしょうか?そこそこ面倒臭いですね(笑)。
でもこの面倒臭さが非日常性を担保してくれるのです。
それでもなかなか忙しくてそんなに面倒臭いことはできないという方には筆ペンのように簡易的な道具もありますから、手軽にかつ瞬時にフロー状態に入ることもできます。筆ペンであれば持ち運びもできますからポータブルで場所も選ばず、片付けも簡単なのでビジネスに戻る時もシームレスに行うことが可能です。
このように書道はこの面倒臭さに軽重をつけることができるのも特徴の一つです。
私の友人で経営者仲間の何人かは毎朝写経を行なっています。その方は毎朝写経をすることで非日常を体感するところからスタートしています。
毎朝のビジネスのスタートには打って付けですね。
写経は早い人では1時間。かかっても90分といったところですからフロー状態になるにはとても良い書道アクションだと思います。
朝イチでリセットして、フロー状態へ。そしてフロー状態のままビジネスに入っていきます。
そこには他責ではなく、仕事を主体的に捉えることができる自分が確実に存在することに気づくのです。
ぜひ、書道を通してフロー状態を体感してみてください。
その時、きっとあなたは唸っているはずです♪
「う〜ん。書道っていいな。」
ビジネスパーソン以外の人たちへ
このように手軽にフロー状態を手に入れることは、ビジネスパーソンだけに限ったことではありません。
学生をはじめ、老若男女全ての方々で再現性を担保できるのが書道です。
当方の書道教室「継未(つぐみ)」に通われている生徒にリサーチしたところ、
・字が上手になりたい:約6割
・落ち着いた時間が欲しい:約5割
という結果が出ました。
お教室での書の時間は静かです。
みなさん集中してフロー状態となって書道に向き合っていらっしゃいます。
ぜひ、体感してみていただきたいなと思います。
ご興味ある方はぜひ一度お越しくださいませ。
継未
なかなか通えないなという方にはオンラインで筆ペンやペン字を学ぶ講座も開設しております♪
#教養としての書道
#書
#書道
#継未
#前田鎌利
#自由国民社
#ビジネス